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先駆者
島田 英昭 (しまだ・ひであき)
- 1978年
- 東京教育大学附属高校卒業
- 1984年
- 千葉大学医学部卒業千葉大学医学部附属病院第二外科医員
- 1985年
- 千葉県立佐原病院外科医師
- 1986年
- 船橋市立医療センター外科医師
- 1987~1991年
- 千葉大学大学院医学研究科博士課程(外科系)
- 1991~1993年
- マサチューセッツ総合病院・ハーバード大学外科研究員
- 1994年
- 横浜労災病院外科医長
- 1996年
- 東船橋病院外科部長・副院長
- 1997年
- 千葉大学医学部附属病院助手(第二外科)
- 2002年
- 千葉大学大学院医学研究院講師(先端応用外科学)
- 2008年
- 千葉県がんセンター主任医長(消化器外科)

食道がんは発見されたときには進行しているケースが多く、長く、早期発見技術の確立が待ち望まれている。21世紀に入り、その分野にひと筋の光明が射し込んだ。千葉大学大学院医学研究院先端応用外科チームが、がん細胞からの分泌タンパクを測定する従来の手法ではなく、がん抗原に対する抗体を測定するという、まったく新しいアプローチの腫瘍マーカーを開発したのである。
メカニズムは次のとおり。がん抑制遺伝子のひとつであるp53は、がんの多くで異常をきたす。この異常型遺伝子からつくり出される異常型タンパクが、がん細胞では過剰発現する。対して、がん患者の血液中にはp53抗体がつくられることになる。そこで、p53抗体を腫瘍マーカーとして活用できる検査技術を確立したのだ。千葉大学の講師として世界初となる技術開発の陣頭指揮を執ったのが、現在、千葉県がんセンター消化器外科主任医長の島田英昭氏。
「従来の腫瘍マーカー検査は、早期がんでは陰性であるケースが多く疑陽性も多い、漠然としたレベルでの測定しかできませんでした。私たちの確立した技術は、それにくらべ、特異な抗体に明確な狙いをつけた抗原抗体反応を利用しているので、精度の高い結果を出せます。
現在はまだ単独での陽性率は20~30%のレベルですが、今後、複数の抗原抗体反応を併用していけば50~60%程度にまで引き上げられると考えています。そうなればたぶん、がん検診のコンセプト自体が大きく様変わりするでしょう。
この技術はがん特異的遺伝子変化を標的としていることから、遺伝子レベルでの、がん治療薬の開発にも新たな道筋をつけられる可能性がある、とも言えます」
血清中の抗体を利用した世界初の腫瘍マーカー技術が、日本発で――。それだけでも話題性は十分だが、大きなトピックはほかにもある。開発を牽引したのが、基礎研究者でも内科医でもなく、外科医だということ。島田氏は生粋の消化器外科医であり食道がんの専門家。自身がマーカー開発に目を向けた動機について、次のように語ってくれた。
「たぶん多くの、同年代のがんの外科医が同じ感想を共有すると思うのですが、5~6年ほど外科臨床の現場に立てば、腫瘍を全部取れなければ“負け”となる外科治療に限界を感じるようになります。少なくとも食道がんの外科治療の分野に関して言えば、転移を含めたがん細胞の完全切除ができない場合の治療成績は、基本的にはこの40年間ほどあまり進歩していない。僕は閉塞感を感じざるをえませんでした。とにかく転移する前の早期の段階で簡単に診断できる方法はないのか?
そんなとき、印象的であったのは、たとえば胃がん分野の進歩です。バリウム二重造影法の発達で早期発見が可能になり、加えて内視鏡技術が進み、どんどん死亡率が下がっている。食道がんの分野でも、誰もが気軽に受けられ早期発見につながる検査法が必要だと考えるようになりました」
胃がん健診と同様のコンセプトで、二重造影法でスクリーニングし、内視鏡精査で早期がんを発見するという方針は、食道がんの分野でも確かに一定の効果が得られていた。しかし、実際には多くの食道がん患者は進行がんの状態で発見されているのが実情。遅々として進まない食道がんの検査技術開発への苛立ちが、研究も手がけるようになった直接の動機だが、基礎研究の取り組みは、ある意味、自身で敷いた既定路線でもあった。
「外科医人生を40年と考えたとき、冒頭の10年では基礎分野も十分に勉強しておき、残り30年の臨床医としての活動を充実させる。学生時代に、漠然とですがビジョンができ上がっていました。外科のフィールドの奥行きの深さを考えたとき、ちゃんとした知識の貯金がないと息切れするだろうと思えたのです」
4年間外科研修を受け、大学院の2年間の基礎研究を経て学位を取得。
「ちょうど大学院時代の1990年前後に“遺伝子治療技術の登場”が、トピックスとなり、自然と強い興味を惹かれました」
そしてハーバード大学に留学。移植免疫の研究を通じて、新しい遺伝子治療技術の研究を進めていった。
「この時期は、欧米の研究開発の進行状況を詳細に知ることのできる立場にいましたのでその動向を見ている状態でした。基礎研究医かもしれない、あるいは内科医かもしれない、誰かが遺伝子工学技術に目をつけて、食道がんの遺伝子治療や分子腫瘍マーカーの研究を始めるだろうと。
ところが、一向にその気配がない。ならば帰国したら、自分でやってやろうと決断したのです」
このまま先端技術や先進薬を海外から購入するばかりで、日本が廃れていくのを見すごせない。p53抗体を用いた分子腫瘍マーカーは、民間企業との共同開発だ。ハーバード在籍時から欧米のバイオベンチャーの動向情報を入手しつつ、水面下で日本の企業と共同開発の交渉をつづけていたという。欧米では当然だが、日本ではいまだに戦略的な動きをする研究者は少ない。「未知の分野にチャレンジするのは、性に合っている」と自己分析する島田氏だが、徹底した用意周到ぶりには、ほかにも理由がある。
「将来性のある研究開発案件に、いわゆるメガファーマと共同で取り組むと、結局は彼らの意のままに“開発させられる”ことになる。それが面白くないので(笑)、ベンチャーと組みたかったのです。遺伝子工学の分野は1990年代から劇的に各種技術のコストが下がりつづけており、アイデア次第で大資本と対等に競争できる環境になっていたのが幸いしました」
そして、理由の核心に話が及ぶ。
「欧米のメガファーマの資本力は想像を絶しており、日本企業は欧米企業にまったくかないません。しかし、だからといって欧米資本と組むと、最終的に、研究開発の中核部分は欧米の研究者に持っていかれてしまう。
その図式は学術研究の分野も似たようなもので、日本で国の科学研究費を使った研究テーマの中には、核心技術やオリジナルアイデアが欧米発であるケースが多い。欧米企業や欧米の研究者が特許権を保有している技術を、日本の税金を投入して発展させているように見受けられるのが残念でならない。どんなに日本の研究者が努力をして成果を出しても、すべて欧米の権利者に総取りされてしまうのですよ。このまま先端技術や先進薬を海外から購入するばかりで日本が廃れていくのを見すごせません。日本のバイオベンチャーと組んだ背景には、日本の国産技術を実用化したい、そうした気持ちが確実にありました」
島田氏は高校1年生のときに、父親を亡くしている。脳卒中で急逝した。
「医師をめざした動機をあえて挙げるなら、父親がいなくなったので『手に職をつけねば』と思ったから(笑)。得意科目は理科系ばかりだったので、自然に医師が将来の選択肢として浮かんできたのです。
父はくも膜下出血で、当時始まったばかりのクリッピング手術を受けていた。その印象が強かったせいか、なんの根拠もなく『脳外科医になろう』と決めていました」
ただし、実際に医学部に進むと、「脳外科より、消化器外科のほうが、ダイナミックで面白い世界に思えた」との理由で、目標は消化器系へと修正された。そして、島田氏にもっとも大きな影響を与えたのは、大学院で薫陶を受けた千葉大学医学部外科学第二講座前教授の落合武徳氏だったという。
「後に世界的なスタンダードとなった新世代の免疫抑制剤『タクロリムス(FK506)』の研究をお手伝いさせていただきました。落合先生の研究成果は、後に何十万人、何百万人の臓器移植患者さんに幸福をもたらしたわけです。すごい成功体験をさせていただきました。発想の転換とでも言うのでしょうか。誰も目をつけない部分に注目して、大きな成果を出す。落合先生の存在は、ロールモデルとして今も大きな励みになっています」
島田氏曰く、がんの遺伝子治療やウイルス治療の研究開発フィールドは今、“バブル崩壊後”なのだそうだ。
「ふと気づくと、1990年代後半ごろに大挙して参入した人たちがほとんど手を引いている(笑)。実際に取り組んでみると、ハンドリングの難しさにまいってしまったようです。結局のところ、それ以前から地道に取り組みつづけている、本当にこの分野が魅力的だと信じてやっている一握りの人たちだけが残ったようですね。
残った者としては特別なコメントはありませんが、現状の遠因となっている、研究費を拠出する行政の担当者には、一考を促したいですね。特にメディアの論調に左右された、“ブーム”と呼べるような研究への予算のつけ方は、いかがなものかと思います」
世間から注目を浴びた「外科医による研究開発」に関して見解を求めると――。
「目の前に患者さんがいて、どうしても治せなくて、心から悔しい思いを抱え、心の底から『なんとかしたい』とのモチベーションを持っているのは臨床医。この10~15年、僕が実際に交流を持ったがんの遺伝子治療やウイルス治療の領域で“研究アイデアを持つ人”も、実はほとんどが臨床の現場に身を置く人です」
2008年1月から千葉県がんセンターという新しい活躍の場に身を置く島田氏。がんへの取り組みはますます先鋭化し、深化する気配だ。
「当センターのがん患者さんの症例数は、大学病院時代の約1.5倍。しかも、当たり前ですが、がん治療に特化している施設です。
そんな環境で、臨床の現場で日々患者さんと向き合える僕は、診療や治療に関する新しいアイデアを生かすには、絶好のポジションを得ているのだと思う。この恵まれた環境で、ぜひとも研究成果を発展させ、国産技術によるがんの新しい診断・治療技術を開発したいと夢見ています」
