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先駆者
小倉 真治 (おぐら・しんじ)
- 1985年
- 岐阜大学医学部を卒業
- 1996年
- 米国サウスキャロライナ医学大学客員研究員
- 2000年
- 香川医科大学附属病院救急部助教授
- 2003年
- 岐阜大学大学院医学系研究科救急・災害医学分野教授
岐阜大学医学部附属病院高次救命治療センターセンター長
日本救急医学会指導医・専門医

2004年6月、岐阜市柳戸の岐阜大学メインキャンパス内に新設・移転した岐阜大学医学部附属病院。新病院スタートに際し、日本最大規模の高次救命治療センターが開設された。国立大学附属病院としては大阪大学、山口大学、香川大学に次いで4例目となる救命救急センター認定施設だ。それまで岐阜県は、一部の医療者に「岐阜では、怪我をしたり急病になりたくない」とささやかれるほど救急医療のレベルが決して高いとは言えず、救命救急センターの発足は待ち望まれたものだった。そして、県民及び関係者の期待を一身に集めて同センター長の職に就いたのが小倉真治氏。母校の岐阜大学のプロジェクトに身を投じた小倉氏は、中部地域の救急医療を変えるのみならず、医療に対する国民の認識までをも変えるべく日々格闘している。
救急医療には戦争災害医学から発展してきた歴史的背景がある。それゆえか、小倉氏は救急医療を、戦争を例に挙げて次のように説明してくれた。
「戦争で言えば、局地戦(臓器との戦い)における勝利をめざすのが、一般的な診療科。一方、戦いの全体像(生命維持との戦い)を考え、いかにして最終的に勝利を収めるかを考えるのが救急医療です。救急医療や災害医療では人体のどこで何が起きているかを把握し、治療の優先度を決定して対応していかなければ人命を救えません」
小倉氏には、「戦い」という言葉がよく似合う。彼は、大学時代、そして卒業後もラグビーに熱中したと話す経歴がうかがえる、偉丈夫な風貌そのままの歩みをしてきた。「救急医療に専門性などない」との風潮が強かった時代にあえてこの道を選び、率先して人が手をつけてこなかった分野に乗り出す。
「5年前、岐阜大学の教授選への出馬を決意した当時は、調べてみると、東京と大阪の間の地域に救急指導医指定施設がひとつもなく愕然としました。今、日本全国で医療訴訟が起こっていますが、当時の岐阜県の救急体制はどんな訴訟が起きてもおかしくない状態だった。教授選考のときの講演で、『私を教授に選んでいただければ、岐阜県のみならず中部地域の医療を変えられます』と話したのを憶えています(笑)」
岐阜大学医学部附属病院高次救命治療センターは、病院内外で発生する重症患者、他の医療機関や救命救急センターで対処できない高度な治療を必要とする患者に対して、24時間体制で総合的、集学的で高度な診断と治療を行うと同時に、地域の中核病院として地域住民、救急隊、病院と連携した病院前救護体制の整備までも担う。病床数はICU12床、HCU14床、一般4床、医師数は救急指導医3名、救急専門医8名を含めた専従医師27名という充実した体制を構築している。
「センター設立に際して、スタッフ配置を最重要テーマとして十分な人材の確保を要請しました。それが実現できたのは、当時の病院長である北島康雄先生が、全面協力してくださったおかげです。そして現在も森脇病院長以下、院内の各診療科が当時以上にバックアップしてくださっています。
人材確保の重要性は、前職の香川大学での救命救急センター運営における失敗の経験から学びました。香川大学では、当初、最低18名の医師が必要だと考えていましたが、大学から提示された数は14名。致し方なく譲歩して14名体制で運営しましたが、人員が足りないしわ寄せが日々現場にのしかかり、3年目には医師全員が疲弊しきってしまった。当然、提供する医療の質は著しく低下しました。医療全般に言えることですが、特に救命救急は、個人の努力だけでなんとかできるような分野ではないと痛感させられた出来事です」
かくして、日本最大規模の専従医師を有する高次救命治療センターが誕生。同センターの勤務体制では、日勤、夜勤の完全2交代制が実現している。
「ある日某テレビ局から取材申し込みがあり、お受けしようと考えていたのですが、いつの間にか立ち消えになりました。『急患に追われ、疲弊しきった救急の現場』を取材したかったらしく、当センターはそのイメージに合わなかったのが理由だったようです(笑)。産休明けの女性医師が現場に戻ってきても子育てと両立できるような勤務体制を、他のスタッフとの不公平感なく実現できています」
【資料】岐阜大学へ搬送となった症例の分布ところで、同センターのヘリポートは、岐阜大学と岐阜県が協定を結んで成立した消防防災ヘリを用いる岐阜型ドクターヘリ事業のメイン舞台ともなっている。
2007年度には約80回のヘリコプターによる患者搬送があったが、岐阜市内よりも飛騨、西濃、中濃などの山間部から患者を搬送する事例が多いという。さらに2009年度からは、岐阜県内で専用のドクターヘリが配備される可能性が高いそうだ。
「ドクターヘリの導入により、実質的医療圏は確実に広がっています。当センターでは重症多発外傷の患者を年間約120人受け入れていますが、多発外傷は年間1万人にひとりと言われますので、概算して当センターの重症救急搬送対象人口は120万人だと捉えています」
日本の医療制度、医療体制に対して、社会にはさまざまな誤解がある。小倉氏は地域医療についても間違った認識が持たれていると指摘する。
「地域医療というと、一般的にはお年寄りの慢性期疾患に寄り添う医師が必要とのイメージが定着していますが、本来、地域医療に求められるべきは、『時間との戦い』のはず。地域住民がその場にいる医師に本当に期待すべきなのは、急病人や怪我人への緊急対応であり、容態を素早く見きわめて必要な施設につなぐこと、つまりは救急医療だと思うのです。ところが、都心から離れた地域に住む受益者たちの認識さえ、ずれてしまっている。したがって、地域医療に従事するにふさわしい医師の育成もできていません。まずは、誤った認識の払拭に着手するのが、地域医療の再構築の第一歩でしょう」
社会の誤認識同様、日本の医療行政は、救急医療に関して、明らかに無知で無策であった。医療圏を設定し、一定の地域内に必ず3次救命救急センターをつくる「絵」を描いたものの、地域によっては3次救命救急センターにたどり着くのに70分もかかるようなところがいまだに存在しており、実情はまさに「絵に描いた餅」だ。
「『救命救急センターの長は救命救急指導医等であること』と定められていますが、実現されている救命救急センターは全国で5割に達しません。それどころか専従医師が複数いる救命救急センターさえ数少ない。人口100万人に対して1施設をとの政策があっても、付随して専門の医師を増やす政策がないのが大問題です。つまりここにも箱物行政がはびこっているわけです」
救命救急を担う施設や医師の不足を改善するための大きな視点のひとつに、評価があると小倉氏は言う。
「私はよく、『現在の日本の病院機能評価は、まだ“機能”評価ではなく、“綺麗”評価だ』と言います(笑)。病院の評価は、本来、アウトカムによってなされるべきですが、日本ではまだそうなっていない。当センターは、いつかそんな日が来ることを待ち望みながら、医療成績のデータを蓄積しています。『救命救急など、真面目に取り組んだら病院経営は大赤字になる』と言われますが、私はそうは思いません。部門単独で評価されれば、黒字ではないかもしれませんが、病院全体の評価、あるいは提供する医療の質、ひいては社会に対する貢献は大きいはずです。それに、少なくとも当院では、新病院となって当センターを立ち上げて以降、病院全体の診療報酬収入は20%以上、増加しています」
前述したとおり同センターは地域の中核病院として、地域住民、救急隊、病院をつないでの病院前救護体制の要でもある。
「以前は『この状況では、もうだめだ』と諦めざるをえなかった患者さんも、当センターで救命できるようになった。当然、病院、医師、患者さんとの間には、相互に強い連帯感が芽生え始めました。その信頼の輪こそが地域医療のベースとなるもので、私は、『Win‐Winの関係』と表現しています。院内の各診療科との関係も同じで、我々が重症な患者さんを軽快させて各科に引き渡す使命を果たすことにより、強い信頼関係が生まれました」
小倉氏は、救命という使命のまっとうを目的に地域や院内との信頼の連携を強固にし、チーム医療の仕組みをさらに熟成させるための具体的な手立ても次々と見せる。
「救命救急では、成否の7割が病院搬送前の対処にかかっている。つまり、救急隊をいかにコントロールし、いかに適切な施設に搬送できるかが鍵なのです。
そこで、アメリカで実際に使われているものを土台にしたガイドラインを作成し、救急隊の司令室に配備してもらいました。ガイドラインには『救急隊だけで対応できる疾患』、『現場に消防車も呼ぶべき疾患』、『現場に医師を呼ぶべき疾患』の3つのカテゴリーが明快に定義してあり、119番通報を受けたオペレータは瞬時に適切な対応を判断できます」
同センターにおける取り組みを、救急医療をめざす若い医師のロールモデルづくりにもつなげたいと小倉氏は考えている。
「特に人材育成において、ロールモデルの存在は重要でしょう。しかし、これまでの救命救急の分野では、成功例や成功体験を提示できる現場が皆無でした。優秀な人材が育たなかったのも当たり前です。
臨床研修必修化以降、研修医たちは現場をひととおり見てからめざす専門科を選べるようになった。我々は日本の救命救急のロールモデルを提示しつつ、当センターを先進の救急医療を体験でき、全国から能力と志をあわせ持つ人材が結集する場にしていかなければならないと自覚しています」
小倉氏に未踏の領域に実績を残す人ならではの圧倒的な闘志のみなぎりを感じた。
