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先駆者
下山 直人 (しもやま・なおひと)
- 1982年
- 千葉大学医学部卒業
- 1987年
- 千葉大学医学部助手(麻酔学講座)
- 1995年
- 米国メモリアル・スローン・ケタリングがんセンター疼痛、緩和ケア科、リサーチフェロー(~1997年)
- 1996年
- 米国コーネル大学医学部薬理学教室、リサーチアソシエイト併任(~1997年)
- 1997年
- 千葉大学医学部疼痛・緩和ケア、外来・病棟医長
- 1999年
- 国立がんセンター中央病院第2領域外来部緩和ケア科医長
- 2004年
- 国立がんセンター中央病院第2領域外来部麻酔・緩和科推進対策室長
- 2006年
- 国立がんセンター中央病院手術部部長
日本麻酔学会標榜医・専門医・指導医、日本ペインクリニック学会専門医、日本臨床腫瘍学会暫定指導医

ナショナルセンターとして、がん治療の先駆的な役割を期待されている国立がんセンター中央病院。ここから、日本の医療界に緩和ケアの新しい風を送りつづけているのが、国立がんセンター中央病院手術部部長の下山直人氏だ。
麻酔科医であり緩和ケア医である下山氏は、今から8年前に一般病棟をまわる緩和ケアチームを発足させた。チームは緩和ケア医、精神科医、心理療法士、専任の看護師、薬剤師からなり、疼痛のケアを行う専門家集団である。
「日本では、緩和ケアは終末期医療、看取りの医療と思われがちですが、痛みのケアを要するのは、末期の患者さんに限りません。昨年4月に施行された『がん対策基本法』にも明記されましたが、がん患者の疼痛緩和は、初期から適切に行われるべきもの。とはいえ、緩和ケア病棟ではない一般病棟の患者さんにこれほど緩和ケアのニーズがあると、私たちでさえ緩和ケアチームをスタートさせて初めて知りました」
今では、緩和ケアチームが診る入院患者数は年間600~700人に上っており、すっかり軌道に乗ったと言える。
下山氏が、緩和ケアが次にカバーすべき領域と目しているのは、外来。特に化学療法中の患者だ。
「当院に入院して亡くなる患者さんは年間350人ほどですが、外来で化学療法を受けたものの、残念ながら治療の効果が表れず、在宅や緩和ケア施設でのケアに移られる方は年間1500人にもなります。もちろん、これまでにも緩和ケア外来は開設していましたし、病院のソーシャルワーカーが在宅で診てくれる開業医や緩和ケア施設の紹介をしてきました。しかし、それらの施設との連携が十分とれていたかと問われれば、決して万全とは言いきれません。患者さんへの説明が不十分なせいで、『病院に見放された、放り出された』と感じる患者さんも多かったはず。いわゆる『がん難民』は、そんなところからも生まれていたのでしょう」
そこで一昨年から、がんの基幹病院と在宅医療や緩和ケア施設との連携モデルを形成することを主目的に地域連携の取り組みを始める。病院の相談支援センターのソーシャルワーカーを窓口とし、その下に専従の外来緩和ケアチームを置くことを計画した。専門家が入ったうえで病状にマッチした地域の医師を紹介し、さらに専従の精神科医や看護師が往診もできる体制が理想となるからだ。また、月に一度は連携先の在宅医療にたずさわる開業医や訪問看護師にも参加してもらい「連携カンファレンス」を開催。懇親会も開き、最近、ようやく連携システムの結びつきが実感できるようになったという。
「化学療法が終わった外来の患者さんには『開業医の先生や他の病院を紹介した後もいつでも当院の緩和ケア外来に相談に来てください』と伝えるようにしています。すると、『安心しました』とおっしゃる方が少なくありません。今から思えば、以前は他の病院を紹介されたら当院との関係は終わりで、『拠りどころがなくなってしまった』と不安な気持ちで帰路につかれた患者さんが大勢いらっしゃったでしょう。それを思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになります」
話しながら、下山氏の柔和な表情が少し曇った。
医師の専門分野も「適材適所」。私の性格には緩和ケアが合っていました。
「よく『適材適所』と言いますが、私の場合は麻酔科医、そして緩和ケア医という仕事が自分の性格にとても合っていると感じています。何しろ“地”のままでいられますから(笑)。
しかし、学生時代には、何が真に自分に合っているのかなどわかりません。恩師のアドバイスがなければ、麻酔科を選んでいなかったと思います」
千葉大学医学部時代は外科志望で、専門科は漠然と脳外科と考えていた。ところが卒業が近づいたころ、所属する卓球部の部長でもあった教授との進路相談で、思いがけないアドバイスを受ける。
「脳外科は、人を押しのけてでも上へ這い上がろうとする性格でないとやっていけない。『だから、君のように穏やかで優しい性格の人間には向かない』と、はっきり言われました。確かに争いは好まない性格。卓球部でも、主将のような目立つ立場より陰でみんなを支える役割が得意。先生は私の性格をよくご存知でした。あのときはっきり言われて、本当に良かった。たくさんの外科医を見て、自分がいかに外科向きでないか、よくわかりましたから(笑)」
こうして、外科ではなく、外科医を見渡すポジションであり、協調性を求められる麻酔科を選択した。
「当初は、重症の心奇形患者を救うため小児の心臓麻酔を専門にしよう、これぞ麻酔科医の生きる道だと思い込んでいました。他科の医師に求められ、がんの痛みの治療で硬膜外ブロックなども行っていましたが、それは興味があるからというよりは与えられた役割だし、若いうちは修業だと思って、なんでもやっておこうくらいの意識だったのです」
下山氏の意識が大きく変化し、緩和ケアに目覚めたのは、関連病院をまわり、卒後5年目に千葉大学の麻酔科へ戻ってから。
「そのころの仕事は、手術麻酔とペインクリニック、がん患者の緩和ケアでした。ちょうど、がん告知の是非で世論が揺れていた時期で、患者さんに嘘をつくのが苦手な自分にとっては、緩和ケアがもっとも難しく、大いなる課題と感じるようになった。そして、いつの間にか手術麻酔以上に傾倒していきました。
実際に緩和ケアを手がけてみると、予想以上にニーズもあり、自分の力不足の部分は他の職種の人に補ってもらい、仕事を協調して進めていくというスタイルも自分に合っているとわかった。何より、痛みがとれたときの患者さんの喜ぶ様子に大きな達成感を感じるようになっていました。自分の存在意義を見出したと言っていいかもしれません」
本気で緩和ケアに取り組もうと決めた下山氏だったが、大学には「痛みの生理」を専門とする先達はいなかった。ならばと、卒後13年目に米国留学を決意。ところが、留学先として選んだメモリアル・スローン・ケタリングがんセンターの疼痛・緩和ケア科には、日本人が留学した前例がなく、留学のシステムもなかった。
「冒険でしたが、とにかくそこで学びたかった。給料はもらわない条件でリサーチフェローの承諾を得て、大学の後輩で同じ麻酔科医でもある妻と、子ども2人を連れて渡米しました」
午前中はがんセンターで臨床の現場に立ち合い、午後はコーネル大学で痛みの生理の基礎研究に没頭して論文を書く生活が始まる。がんセンターで指導を受けたフォーリー医師も、コーネル大学のイントリッシ教授もアクティブな指導者で、留学生活はきわめて充実したものだった。しかし、貯金は1年で底をつき、1年だけならと留学を認めてくれた大学の医局からも、帰ってくるようにとの指示が届く。迷う下山氏──。地道な努力を苦にしない粘り強い彼に運命は味方した。
「思いがけなく、メモリアル・スローン・ケタリングがんセンターから給料が出るとの報が入り、もう1年留学生活をつづけられることになったのです。留学中に研究したモルヒネの耐性や依存性の抑制については、帰国後に臨床的な検証を行って論文にまとめました。留学の何よりの成果は、基礎研究をライフワークとして位置づけられるようになったことでしょう」
帰国後は千葉大学に戻って本格的に緩和ケアに取り組み、2年後、国立がんセンター中央病院から誘いを受ける。
「緩和ケアチームを立ち上げ緩和ケア専従での仕事ができると聞いていたのですが、実際に勤務してみると、どうしても麻酔科医が足りず、手術麻酔も担当することに──。話が違うと手術麻酔を拒否する選択肢もあったのかもしれませんが、それも今の自分の役割ならと、手術麻酔も引き受けました。私が緩和ケアを志したとき、思いどおりに緩和ケアに取り組める病院など、日本中見渡してもどこにもありませんでしたから。
緩和ケアができるのは、手術麻酔やペインクリニックの仕事が終わったあとや休日を返上した土日だけの時期もあった。それでも、日本で緩和ケアを充実させるには自分で道をつくっていくしかないと考え、ここまで進んできました。まだ日本の緩和ケアは黎明期、自分は次の世代の踏み台でかまわないという気持ちです」
緩和ケアを必要とする時代は下山氏が予想したよりも早く訪れたのかもしれない。緩和ケアチームをつくって2年が経過するころには、主治医からの緩和ケアの依頼が増加し状況は改善。手術麻酔をしている時間はなくなり、結果的に緩和ケアに専念できるようになった。
緩和ケアチームの普及、在宅医療にたずさわる開業医や緩和ケア施設との地域連携につづき今後の緩和ケア発展のために欠かせないこと。それは、ガイドラインづくりだろう。下山氏は厚生労働省科学研究班、緩和ケアガイドライン作成班の主任研究者でもある。
「日本ではこの20年、一般病棟ではなく、終末期の患者さんが入院する緩和ケア病棟を中心に緩和ケアが推進されてきました。その弊害として、緩和ケアには科学的な根拠を持った治療の追求がそぐわないといった風潮が定着してしまった。さらに、この分野の研究者もいなかったので、緩和ケアで使用されている薬には科学的な根拠なしに医師の経験則だけで使われているものが少なくない。
医師主導の臨床治験を行って確かな結果を出し、科学的根拠のある薬を通常使用薬としたガイドラインをつくっていかなければなりません。また、終末期患者に必要な即効性のある薬が保険適用されていない例もあるので、臨床治験のデータを添えて厚労省への要望書を出すなどの行動も必要でしょう」
日本の緩和ケアをリードする者としての使命は、まだまだ尽きない。下山氏はこれからも、緩和ケアのニーズを見きわめながら新たな緩和ケアの在り方を私たちに提示しなければならないだろう。
医療技術が日進月歩で進展する一方で、高齢社会が急激に進む日本では、緩和ケアへの医療界、患者からの期待はあまりにも大きい。
