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先駆者
佐藤 悦郎(さとう・えつろう)
- 1977年
- 東北大学医学部卒業
岩手県立宮古病院勤務 - 1981年
- 東北大学医学部第2内科入局
- 1983年
- 東北大学医学部附属病院勤務
- 1985年
- 仙台循環器病センター勤務
- 1987年
- 岩手県立宮古病院勤務
- 1989年
- 東北大学医学部附属鳴子分院勤務
(リハビリテーション医学研究施設) - 1993年
- 若柳町国民健康保険病院勤務
- 1996年
- 若柳町国民健康保険病院副院長
- 1997年
- 若柳町国民健康保険病院院長
- 2005年
- 栗原市立若柳病院院長
(町村合併により名称変更)

宮城県栗原市――県の北部、岩手県との県境に位置し、県下最大の面積(8000平方キロメートル)を誇る人口約7万9000人(2008年2月現在)の地方都市。2005年4月に10の町村が合併して生まれた栗原市には、ラムサール条約に登録された伊豆沼、内沼や栗駒国定公園(栗駒山)などの観光スポットと並ぶ市の誇りがある。栗原市立若柳病院だ。
同院は、その健全経営と良質な医療提供が評価され、2005年、自治体立優良病院全国自治体病院開設者協議会、及び社団法人全国自治体病院協議会の両会長表彰を受け、2006年には自治体立優良病院総務大臣表彰を受けた。
佐藤悦郎氏は院長として1997年(当時の名称は若柳町国民健康保険病院)以来10年余にわたって同院の運営を支えてきた人物。2005年には、彼の尽力で新築開設もかなった。
「市町村合併にかこつけて病院を建て替えるなどけしからんと、新聞などにはかなり叩かれました(笑)。しかし大いなる誤解で、新病院建設は合併とはまったく別に当時の若柳町町長の判断で推進されたもの。第4次医療法改正で入院患者ひとり当たりの居住空間が定められましたが、1958年開設の古い施設に適用すると(適用期限は2006年2月)ベッド数が激減し、住民に十分な医療サービスを提供できない事実がわかっていたのです」
地域の医療政策においては今、「集約化」なる風が吹いている。メディアがほぼ自動的に「自治体病院新設」に批判的論調を打ち出すのは、時流に乗ってのことにほかならない。佐藤氏は、少々困惑気味に苦言を呈する。
「病に罹患した方が最終的に全員、必ず快癒する前提なら集約化は是でしょう。現代の交通網を考えれば問題なく成立します。ですが現実には、完治しない患者さんがいる。基幹病院で急性期をすごしたものの完治しなかった患者さんが、在院日数短縮の方針のもとで退院させられる。加えて高齢化社会の進展を想定すれば、今後、地域には医療依存度の高い方がどんどん増えるはず。そうした現実に対する議論がまったくないまま、単視眼的に集約化を金科玉条とするのには大いに疑問を感じます」
さらに佐藤氏は、医療を山にたとえて持論を展開してくれた。
「私は、医療を裾野の広い山のようなものと考えています。裾野を切り捨て、断崖絶壁にしようとするのが、『地域医療』のコンセプトを抜きにした『集約化』の推進。裾野のない山を下に向かって歩く人は、結局、崖から飛び降りるしかなくなります。このままでは、いわゆる医療難民が大量に出現するでしょう」
さて、表彰まで受けた健全経営については、根掘り葉掘り尋ねたが、最後まで“秘訣”のようなものが開陳されることはなかった。大意を要約すると、「すべきことをしたら、そうなっただけ」となるようだ。
「地域住民の方々の望みに応えようとがんばった結果が最終的に経営改善につながったような気がします。限られたベッドをいかに有効に使うかと工夫し努力して、『長期になる人は自宅療養しましょう』と働きかけていたら、いつしか患者さんの側にも“共存”の思考が芽生えていました。『私は少し良くなったから、早く帰りますよ』と言ってくださる患者さんもいます。私はただ、必要な人が必要な場所で、必要な医療を受けられるべきだと考え、できる努力をしてきただけです」
唯一、具体的に貢献したものを挙げるとすれば、スタッフの献身だと言う。
「当院は医師も看護師も、『できることは何か』と考え行動する人ばかり。実のところ当院の医師充足率はかなり低い。7割に届いていません。6割9分です。それでも特例で診療報酬を100%請求させてもらっている。この体制で表彰までしていただける経営になっているのは、ひとえにスタッフのがんばりのおかげです。
彼らは、頼まれた仕事はすべて引き受ける。ある医師はこう言いました、『この地域で、自分を頼ってくれる患者さんがいる限り、がんばれる』と。そういう人材がいる当院は、少々の赤字が出ても持ちこたえられると確信しています」
もちろん、優秀なスタッフの能力を十分に引き出せるか否かは、リーダー次第なのは論を待たない。
取材の話題が自身のプロフィールにさしかかると、機先を制するように自己申告があった。
「私は3年ほど余計に大学におりました。勉強のためではありません。1年間は千葉県の三里塚、つまり成田空港の近くの農家に身を置いていました(笑)。はい、学生運動です。あれは、当時の私には人生に突きつけられた大問題で、避けるのは無理に近かったのです」
「避けるのは無理に近かった」。この一言に、時代の熱が表れている。時代の熱に鍛えられた闘士の闘志は、大学卒業後、すべて医療に向けられた。研修医として赴任した岩手県立宮古病院での4年間、体当たりで医療を学ぶ。
「350床で、脳外科から産科まである、地域完結型をめざした病院でした。そんなところに大学でまったく勉強しなかった者が行ってしまったので、もうたいへんでしたね(笑)。しかし、内科の先輩方は、どんなに忙しくても、相談すればなんでも教えてくださいました。他科の先生も、私にいろいろ手伝わせてくれる。何より、患者さんから多くを学んだように思います」
1981年に東北大学に戻ると血液内科で白血病の研究に取り組み、1985年からは研修医として仙台循環器病センターに勤務する。ひとたび宮古病院に戻った後、1989年には東北大学医学部附属鳴子分院のリハビリテーション医学研究施設の勤務も経験した。
「しかるべき総合的な力を身につけた後に地域で医療をしたい。思いばかりが先走り具体的にどうするかわからないまま右往左往したのは、経歴から明らかですね(笑)。とにかく、特別な器具がなくても医療ができる医師になり、地域にある設備だけで医療を提供していきたいとの理想を抱いていました」
そして1993年、若柳町国民健康保険病院に職を得る。抱く理想を具現化するチャンスに巡り合い、見事に成し遂げて見せて現在にいたる。
もの言う病院にならなければいけない。言うために必要なのは、実績。それ以外にはありません。そんな佐藤氏が、自治体病院の経営難が全国的な問題になっている昨今の状況をどう捉えているのかは、気になるところだ。
「すべてを経済効率で議論して、いいものなのでしょうか?明らかに市場原理が成立しない地域にも、医療を求める人は大勢います。
急性期だけを考えれば、遠くの大病院に送れもしますが、慢性期の患者さんはそうはいかない。教育施設や健康管理への取り組みが、地元になければ意味がないのと同じです。自治体病院は、地域で慢性的に苦しむ住民にこそ責任を持つべきだと思うのですが──」
自治体病院は、政治とは無縁でいられない立場。首長や議会の考えひとつで、大海に浮かぶ木の葉のように揺られるのが現実である。
「特に合併して大所帯になってからは、我我の声が議会に届きづらくなっていると感じますね。ただ、ものは言わなくてはならない。言うために必要なのは、実績。それ以外にはありません。
加えて、自治体病院の院長には、振りまわされる立場を嘆くだけでなく、医療を政治家に理解してもらう努力が必要でしょうね。病院経営がうまくいかないとしたら、責務はこちらにもあると思う。
私が、在宅医療や病院新設などのテーマごとに過去に何度も勉強会を開いているのは、地域住民や行政者の皆さんに私たちの活動の意味を理解してもらうためでもあるのです」
地域医療の今後に関する見解を問うと、自然に話題は医療にたずさわる人材の問題へと及んだ。
「問題は、教育にあると感じます。大学教育は言うに及ばず、私は、もっと前、小学校、中学校の教育に目を向けるべきと思っている。
たとえば私は、学業優秀がゆえに医学部に進んだわけではありません。子どものころにケガをしたり、病気になった折、診療所のお医者さんが治してくださったことに感動し、『医者になりたい』と心に決めて医の道をめざした。決して私などが模範とは言いませんが、医療の現場に、純粋な動機を持って取り組む人が少なくなったのは気がかりです。
原因のひとつに、感受性の豊かな幼年期に医療に感動したり憧れたりする体験が少なくなったことがあります。そして、もうひとつ、『偏差値が高いから医師になれ』という職業選択プロセスの弊害が挙げられるでしょう。結局、2つの悪因により医療の現場に『必要なことしかしない』医師があふれ、子どもたちになんの感動も与えられなくなるという悪循環が、生まれてしまいました」
話の延長線上で、佐藤氏のユニークな経歴も明らかになった。
「実は、高校卒業時点の目標はけっこうおぼろげで、『なんとなく医療』と考えており、一度は衛生検査技師の学校に進みました。ただ、入学して勉強するうちに、『ああ、自分の望みは医師なのだ』とわかり、東北大学を受け直したのです。今の医学部の学生には、想像ができないかもしれません。遠まわりを許す余裕は、受験戦争に立ち向かう学生の周囲にはありませんから」
若柳病院では、東北大学医学部の卒前教育の位置づけで実習生を受け入れている。当然、佐藤氏は地域医療を担う人材養成にも余念がない。地域医療の魅力を伝えるために、どんな工夫をしているのか。
「患者さんに打算なく喜ばれる体験を与えることに尽きます。医師に限らず、働いて相手から『ありがとう』と言われる。言葉はなくても、表情から伝わってくる。一度でも体験したら、『お金には替えられないものがある』とわかるはず。医師の仕事の喜びに気づいた学生のモチベーションがみるみる上がるのは、手に取るようにわかります」
