先駆者

Profile

比嘉 眞理子(ひが・まりこ)

1978年
東邦大学医学部卒業
東邦大学大森病院第2内科研修開始
1980年
東邦大学第2内科入局
社会保険川崎中央病院出向
1983年
東邦大学大森病院第2内科助手
1986年
せんぽ高輪病院内科出向
1989年
東邦大学大森病院第2内科助手
1992年
済生会神奈川県病院内科医長
1996年
済生会神奈川県病院内科部長
2007年
済生会横浜市東部病院糖尿病・内分泌内科部長

日本内科学会認定医・専門医・指導医、日本糖尿病学会専門医・指導医・評議員、日本人間ドック学会認定医、日本プライマリ・ケア学会認定医

Precursor 先駆者

BACK NUMBER 女性として、医師としての信念は、医師の先輩でもある母の教訓。
済生会横浜市東部病院糖尿病・内分泌内科部長 比嘉 眞理子
亡くなった母の教訓が医師としての信念に

「開業医だった母には、幼いころから働く女性の生き方について訓示を受けていました。『女性というだけでちやほやされるのは、人生の限られた時期だけ。だから、そんなことを頼りに生きては駄目。自分の力で、自分の実力で、一歩一歩着実に進んでいかなければいけない』――私が高校生のときに母は亡くなりましたが、この歳までその教訓だけは守っているつもりです」

済生会横浜市東部病院で糖尿病・内分泌内科部長を務める比嘉眞理子氏は、そう言ってカラッと笑った。

診療で患者と向き合い、研修医の指導をし、管理職として診療科や病院全体の運営にもかかわる多忙な日々。そんな中でも、学会発表や論文作成に、意欲的に取り組む姿勢には、「女性だということを楯に、自分を甘やかすな」という教訓が見事に生きていた。

子どものころから、人に頼らず、自立して生きていくには手に職をつけなければと考えていたと話す比嘉氏。医師だった母の姿を見て育ったため、もっとも身近な職業は、やはり医師だった。小学校5年生のときには、「私も医師になろう」と決意していたという。

大学は、母の母校でもあり、自宅からも近かった東邦大学医学部を選んだ。
「両親は開業医で、私も同じ医師の道を選びましたが、医師にもいろいろな道があるはずと思った。大学へ進学するころには、両親とは違うかたちの医師になりたいと考えるようになり、病院で研究をつづける決心をしていました」

内科の魅力にとりつかれ糖尿病を専門に
宮城県栗原市立若柳病院院長 比嘉 眞理子 自分の力で一歩一歩進むために、
日常臨床や糖尿病研究にもたゆまぬ努力を。

大学卒業を控え、誰もが自分の進むべき専門分野について考える時期。「将来、結婚して仕事をつづけるなら、皮膚科などを専門にするのがいいのでは」――。漠然と皮膚科へ進む前提のもと、大学病院で内科の研修を受けた。ところが、2年間の研修を終えて派遣された社会保険川崎中央病院で、その気持ちに変化が起こる。
「内科の魅力に、とりつかれてしまったんです(笑)」

しかし、内科の何を専門にするかについては、あまり選択肢がなかったという。
「糖尿病を専門とする第2内科の教授が喜んで受け入れてくださったので、とてもうれしかったのですが、正直なところ、糖尿病しかないとも感じていました。今では想像できないかもしれませんが、私が医師になった30年前には、消化器や循環器は女がやる世界ではない、女性は入局させないとの風潮があったのです」

積極的な選択ではなかったが、結果的に糖尿病を専門にしたのは、自身の医師人生に幸いしたと振り返る。
「教授は厳しい方でしたが、よく教えてくださいました。先輩方も後輩の指導に熱心な方ばかりで、あの教室には今でも感謝しています。教えていただいた糖尿病の論文の書き方や研究発表の仕方はとても役に立ち、現在の研究の土台になっています」

助手となって、再び大学病院へ戻っていた比嘉氏に、ひとつの転機が訪れる。外の世界を知るチャンスだった。
「教授から、せんぽ高輪病院で常勤医を探しているが誰か行かないかと、お話があったのです。せんぽ高輪病院は、いろいろな大学の出身者が集まっている病院でした。それまで私は大学病院と医局から医師が派遣されている関連病院で、同じ大学の出身者ばかりの中で仕事をしてきた『井の中の蛙』。『大海』を知って、自分の力でどこまでやれるのかチャレンジしてみることも人生には大切だと思い、『私が行きます!』と手を挙げました」

「自分の力で、一歩一歩着実に進む」。その信念が行動となって現れた瞬間でもあった。
「外の病院へ出てみて、本当に良かったと思います。東大や昭和大など、さまざまな大学出身の医師といっしょに仕事をしましたが、それまでに感じたことのない医師としての“貪欲さ”を感じさせてくれる人が多く大きな刺激を受けました。あの体験は市中病院で臨床と研究にたずさわる今日の仕事のスタイルを見つけるきっかけにもなりましたね。職場の若い医師仲間でテニスをしたり、スキーに行ったり――。楽しい時代でした(笑)」

泌尿器科の勤務医であるご主人と知り合ったのもこの病院。公私ともに充実した生活を自らの決断で選び取る結果になった。

市中の中核病院で自分のやりたい研究を

1992年に大学医局から済生会神奈川県病院に派遣され、内科医長、内科部長を歴任、2007年から済生会横浜市東部病院へ移って現職に就く。
「市中の中核病院は大勢の患者さんを診なくてはなりませんので、大学病院とくらべて忙しいのは確かです。けれど、やる気のある人にとっては、症例数が多くてデータも非常に集めやすく、研究にはまたとない環境です。何よりも指示されたテーマではない、自分のやりたい研究ができるのがいちばんでしょう。だから、私もここにいるんです(笑)」

糖尿病・内分泌内科部長という責任ある立場で、昼間は診療を中心にしつつ、管理職として会議などにも出席し、研修医を指導しながらの病棟回診もある。自分の研究をするのは、どうしても夜の時間帯。しかし、それらをまったく苦にしていない様子だ。学会活動の継続を自らの課題とし、それを淡々と、粛々と遂行しているようにも見える。“男社会”と言われる世界を相手に、まさに有無を言わせぬ実績で評価を引き出している比嘉氏の底力を見せつけられているかのようだ。

「確かに私が生きてきた医師の世界は“男社会”でしたが、自分が女性で悔しいと思うより、女性で良かったと思う瞬間のほうが多かったように思います。男性を見ていると、認められたい、出世したいという欲求が強く、その分、同級生や後輩に先を越されたときなどのストレスが大きい。『男の人はたいへんだな』と、第三者的に見ているところがありました。

自分は女性であることで同列に並べられていないと感じていましたので、逆に腹も立ちませんでしたし、気が楽だったのかもしれない。男性と張り合うというより、自分自身が一歩前進すること。それだけを考えてきた気がします」

今は、男性も女性もない時代“医師”の責務を全うするのみ

「私が医学生のときは、同級生80人中女性は8人。1割しかいなかったのですから、男社会であっても無理はなかったのかもしれません。しかし、今、母校の医学生は3~4割が女性。男性だから、女性だからと言っている時代ではないでしょう。

患者さんにとっては、男でも女でも求めるものは同じ。“医師”として治療にあたり、痛みや苦痛を取り除いてほしい。ただそれだけです。能力的には、女性も男性と肩を並べて働けると思いますし、医学部に入って医師になったからには、社会的責任を果たさなければいけないと思います」

ただし、女性医師が子どもを持ったときの状況は別。男性医師とは条件が変わってくると話す。
「私には子どもがいませんので、男性と同じように働くことができました。けれども子どもが生まれて、世話をしなければならなくなったときに、働く意欲を削がれたり社会的責任を全うするのが難しくなるのは事実です。

出産で仕事を休まざるをえないのはもちろん、子どもの世話をする時間も必要ですし、子どもが熱を出せば、仕事を早退しなければならない場合もあるでしょう。

それらは、自分の努力ではどうしようもないこと。ですから、子どもを持つ女性が少しでも働きやすい環境にするには、せめて24時間保育の保育園の整備や、子どもが風邪をひいたときなどの病児保育の充実などが必要だと思います。また、保育料が高いのも問題。自分の給料がすべて保育料に消えてしまっては、労働意欲が湧かなくなるのも理解できます」

10年後には医師全体の4割が女性になると予測される今、女性が出産後も医師をつづけられる体制をつくれるかどうかは、国の医療政策にとっても大問題のはず。
「育児中、細々とでも診療をつづけていれば、子どもの手が少し離れたときにフルタイムで復帰するのは比較的容易だと思います。しかし、数年であっても、仕事から完全に離れてしまうと、現状では、復帰は難しいでしょう。薬の名前もわからなくなってしまいますから。

出産や育児で数年のブランクがあっても職場復帰できれば、後に20年、30年と医師として社会貢献できるわけですから、復帰をスムーズにする再教育システムがあれば生涯活躍できる女性医師が増えるのではないでしょうか」

女性医師の少ない時代に自分で道を切り拓いてきた先駆者が、後進のために発言してくれるのは、あとにつづく者にとってこのうえもなく心強いことだろう。

「女性も男性と肩を並べて医師としてやっていける」。その実績をつくってきた比嘉氏の功績は大きい。しかも、肩肘を張って男性と張り合おうとするのではなく、母の教訓を守り、あくまで自分の道を信念を持って歩みつづける姿は、なんともしなやかで美しい。

DOCTOR’S MAGAZINE 2008年7月号より転載 (取材:中村敬彦 文:桑畑裕子 撮影:木内博
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