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特集 長崎大学病院
150周年は一つのターニングポイント。先人からの伝統を礎に、若者が未来を築く組織へ
「医師は病める人のもの」-幕末から受け継ぐ設立者ポンペの精神
当院は、1861年9月20日にオランダ海軍軍医ポンペ・ファン・メールデルフォールトによって設立された養生所を起源としており、設立150周年を迎えます。ポンペは軍医としてオランダ海軍と共に来日しました。三菱重工業長崎造船所に代表されるように、海軍は当時の日本に工業を伝え、またポンペは、幕府から要請されて西洋医学を若者に教えるため、松本良順と共に1857年長崎奉行所西役所医学伝習所を開設します。それが、現在の長崎大学医学部の前身です。科学、解剖学、内科学、外科学などを系統的に教授したのは、日本ではポンペが初となります。そして、医学を教えていれば当然、臨床ができる病院の必要性が高まります。そこで、医学伝習所の開設から4年後に、約120床のベッドを有する近代的な西洋式の病院で、医学校でもある小島養生所が設立されました。当時はまだ江戸時代であり、身分制度によって誰もが診療を受けられるような時代ではありませんでした。しかしポンペは、「医学を志したのであれば、すべては患者様のために医師としての道を歩まなければならない。それが嫌ならば、医師になるべきではない」という理念に基づいた医学教育を実践したのです。養生所では、身分や貧富の差にかかわらず、訪れるすべての人を診療しました。これは、当時の時代背景としては画期的なことです。さらにポンペは、医学を志す日本の若者に、現代の臨床研修のような講義によって診断の仕方や治療の仕方を教えました。当院は、ポンペの「医師は自分自身のものではなく病める人のものである」という言葉、そしてその精神を現在もなお、受け継いでいます。
診療、教育、研究、地域医療、国際貢献の5つの目的で新たな発展を築く
このように当院は、先人たちの伝統を礎に発展してきましたが、150周年を迎えるにあたり、今後は、将来の歴史を若い人たちが作っていくターニングポイントとなるような年にしていきたいとも考えています。大学病院として、最先端の医療、診療を提供することも当院の使命です。医師のみならず、歯科医師、看護師、薬剤師、理学療法士、作業療法士などの教育、感染症や放射線医療での臨床研究も積極的に進めていきます。こうした診療、教育、研究が3つの大きな目的となります。また、4番目の目的は、長崎県の最後の砦として地域医療に貢献していくことです。長崎県は離島も多い地域ですので、こういった地域医療を志す人材を大学病院から輩出し、地域医療を支えていくことは当院の大きな目的の一つとなります。さらには、ローカルだけでなく、世界に誇れる国際医療を当院から発信していくことも重要な目的です。現在でも、感染症に関しては東南アジアやアフリカなどの地域に教授や学生たちが自ら出向いて、地域の研究に貢献しています。放射線医療でも、チェルノブイリなど、東欧や旧ソ連圏を訪れ、国際貢献を果たしています。こうした5つの領域を当院の目指すべきもの、理念に置き、今後も職員全員が一丸となって頑張っていきたいと思っています。
将来の日本の医療を担っていくような人材を輩出する病院を目指して
最先端医療の研究をさらに発展させ、医療の歴史に貢献する
若い医師に、「長崎大学病院で勉強をしたい」と望んでいただけるような組織にしていきたいと考えています。当院にとって長崎県内の地域医療を支えていくことは大切な使命ですから、一般的な病気を診療できる医師を育てていくことも重要です。しかしそれと共に、「ここで学びたい」と思えるような高度な医療を提供することも必要となります。また、大学病院は、医師の教育という側面だけでなく、最先端医療の研究という側面でも社会からの大きな期待を担い、評価されます。教育は、優れた人材を確保するために必要不可欠なものですが、社会から評価していただくためにも、いかに先端医療の分野における研究成果を提供していくか、医学の歴史の一歩を自分たちで刻めるような病院になるべく、努力を続けていきたいと考えます。現在、当院の最大の特徴となっているのは、感染症と放射線医療の分野です。こうした分野における日本一、世界一の医療機関となれるよう今後も積極的に取り組んでいきます。また、肝臓や肺移植などの移植分野でも、ますます評価を高められるよう努力していきたいと考えています。
日本の将来の医療を担う有能な人材を魅了する病院づくり
新たな医師の臨床研修制度が開始され、地方の大学病院などは苦戦を強いられているところが多いというのが現状です。その点では、当院も決して例外ではありません。優秀な人材が大学を離れてしまうことは、単に大学病院の損失となるだけでなく、国民にとっても非常に不幸なことではないでしょうか。日本の将来の新しい医療を築いていけるだけの有能な人材が、日常の臨床だけに留まる環境に身を置くというのは実に惜しいことです。将来の医療の発展に役立つような基礎的な研究は、やはり大学のような専門の機関と組まなければできません。10年後、20年後といった日本の将来を見据えたときに、先端医療を築いていく人材が欠落してしまうことは、将来の日本の医療危機にもつながりかねません。そうした観点からも、大学病院としての立場で、多様な人材を吸収できる環境があることを若い学生たちに理解していただけるよう努めなければなりません。研修生を確保するために、技量習得のスピードなどの点で民間の病院と競争するのではなく、大学病院ならではの使命や目的を学生に積極的に伝え、吸引できるような病院づくりを目指していかなければならないと考えています。
そのために、当院ではさまざまな改革を実践しています。例えば、病院運営上の意思決定のスピードを向上させることもその一つです。運営の意思決定のステップを短縮することで、これまで決定に3カ月~半年を要していたことも即決定し、実行に移せるような体制になりました。また、現場の意見を積極的に吸い上げて反映。経営側と現場の若手スタッフが直にコミュニケーションを図ることで、実情に即した組織の運営を可能にしています。今後もこうした改革を進めながら、意欲に燃えた若い医師が集えるような魅力ある病院づくりを実現していきます。
| 年号 | 年 | 月 | 項目 |
|---|---|---|---|
| 安政 | 4年 | 11月 | 長崎奉行所西役所内(現在県庁所在地)に医学伝習所を開設(1857年) |
| 文久 | 元年 | 9月 | 長崎小島郷稲荷岳に養生所を開設(1861年) |
| 慶応 | 元年 | 4月 | 精得館と改称(1865年) |
| 明治 | 元年 | 11月 | 長崎府医学校並びに病院と改称(1868年) |
| 〃 | 2年 | 8月 | 長崎県病院医学校と改称 |
| 〃 | 4年 | 12月 | 文部省の所管となり、長崎県病院・長崎医学校と改称 |
| 〃 | 7年 | 11月 | 長崎医学校は廃止され、長崎県病院は蕃地事務局(兵員)病院と改称 |
| 〃 | 8年 | 4月 | 長崎病院と改称(県管轄) |
| 〃 | 20年 | 8月 | 医学校の国立移管に伴い、長崎県立長崎病院と改称 |
| 〃 | 35年 | 4月 | 現在地に移転 |
| 〃 | 36年 | 10月 | 長崎県立長崎病院附属看護婦養成所を設置 |
| 大正 | 11年 | 4月 | 官立長崎医学専門学校附属医院と改称 |
| 〃 | 12年 | 4月 | 長崎医科大学附属医院と改称 |
| 昭和 | 20年 | 8月 | 原子爆弾により被災 |
| 〃 | 〃年 | 10月 | 新興善国民学校(長崎市)に医科大学附属医院を開設して診療を開始 |
| 〃 | 21年 | 5月 | 新興善国民学校を医科大学附属第一医院として、元佐世保海軍病院諫早分院(諫早市)を医科大学第二医院として診療開始(第二医院は7月診療開始) |
| 〃 | 24年 | 5月 | 国立学校設置法に伴い、長崎大学医学部附属病院と改称 診療科:内科(2診療科)、外科(2診療科)、産婦人科、小児科、眼科 、皮膚泌尿器科、耳鼻咽喉科、精神科、物理的療法科、歯科(治療室) |
| 〃 | 25年 | 10月 | 現在地に全科の病室(入院)を移し、新興善小学校に外来診療所を設置 |
| 〃 | 26年 | 4月 | 第二医院を医学部附属病院諫早分院と改称 |
| 〃 | 28年 | 4月 | 放射線科新設 |
| 〃 | 29年 | 4月 | 整形外科新設 |
| 〃 | 33年 | 3月 | 諫早分院を閉鎖 |
| 〃 | 〃年 | 6月 | 外来診療所を本館に復帰 |
| 〃 | 34年 | 3月 | 第一中央診療棟竣工 |
| 〃 | 36年 | 3月 | 第一臨床研究棟竣工 |
| 〃 | 〃年 | 4月 | 泌尿器科・中央手術麻酔部・中央検査部新設、事務部機構改革(一部二課制) |
| 〃 | 〃年 | 12月 | 医学部附属病院開設百周年式典挙行 |
| 〃 | 37年 | 4月 | 薬剤部設置、総婦長が総看護婦長となる |
| 〃 | 39年 | 3月 | 第二臨床研究棟竣工 |
| 〃 | 〃年 | 4月 | 麻酔科新設 |
| 〃 | 40年 | 4月 | 内科(原爆後障害医療研究施設)新設 |
| 〃 | 41年 | 4月 | 歯科新設 |
| 〃 | 42年 | 6月 | 内科(熱帯医学研究所)・放射線部新設 |
| 〃 | 45年 | 12月 | RI治療病室新設 |
| 〃 | 46年 | 4月 | 第三内科新設 |
| 〃 | 47年 | 3月 | 看護婦宿舎・看護学校寄宿舎竣工 |
| 〃 | 〃年 | 5月 | 脳神経外科新設 |
| 〃 | 48年 | 3月 | 新病棟(本館)着工 |
| 〃 | 〃年 | 4月 | 救命救急センター新設 |
| 〃 | 50年 | 10月 | 材料部新設、歯科が歯科口腔外科に名称変更 |
| 〃 | 51年 | 3月 | 新病棟(本館)竣工 |
| 〃 | 〃年 | 4月 | 事務部機構改革(一部三課制) |
| 〃 | 〃年 | 5月 | 看護部設置 |
| 〃 | 〃年 | 9月 | 新病棟(本館)で診療開始 |
| 〃 | 〃年 | 10月 | 歯科口腔外科( 顎・顔面)第二診療科診療開始 |
| 〃 | 52年 | 2月 | 精神科神経科病棟竣工 |
| 〃 | 53年 | 10月 | 細胞療法部新設 |
| 〃 | 54年 | 4月 | 形成外科新設 |
| 〃 | 〃年 | 11月 | 第二中央診療棟竣工 |
| 〃 | 55年 | 3月 | 歯科口腔外科( 顎・顔面)第二診療科診療停止 |
| 〃 | 〃年 | 3月 | 管理棟竣工 |
| 〃 | 〃年 | 4月 | 分娩部新設 |
| 〃 | 56年 | 3月 | 第一中央診療棟改修 |
| 〃 | 57年 | 4月 | 歯科口腔外科廃止 |
| 〃 | 〃 | 〃 | 歯学部附属病院設置 |
| 〃 | 〃年 | 7月 | 第三中央診療棟竣工 |
| 〃 | 58年 | 4月 | 集中治療部新設 |
| 〃 | 59年 | 3月 | 高気圧酸素治療室新設 |
| 〃 | 〃年 | 4月 | 心臓血管外科新設 |
| 〃 | 61年 | 4月 | 医学部附属看護学校廃止(昭和59年4月医療技術短期大学部設置のため) |
| 〃 | 62年 | 2月 | 高エネルギ-治療施設竣工 |
| 〃 | 〃年 | 4月 | 医学部附属助産婦学校廃止(医療技術短期大学部専攻科設置のため) |
| 〃 | 63年 | 3月 | MRI-CT装置棟竣工 |
| 〃 | 〃年 | 4月 | 理学療法部新設 |
| 平成 | 5年 | 4月 | 腎疾患治療部新設 |
| 〃 | 6年 | 1月 | 特定機能病院と称する |
| 〃 | 7年 | 4月 | 病理部新設 |
| 〃 | 8年 | 5月 | 光学医療診療部新設 |
| 〃 | 10年 | 4月 | 循環器科(第三内科担当)・代謝疾患治療部新設 |
| 〃 | 11年 | 4月 | 総合診療部新設 |
| 〃 | 〃年 | 11月 | 遺伝カウンセリング室新設 |
| 〃 | 12年 | 4月 | 医療情報部新設 |
| 〃 | 13年 | 7月 | 安全管理部新設 |
| 〃 | 14年 | 4月 | 治験管理センター新設 |
| 〃 | 15年 | 4月 | 国際ヒバクシャ医療センター,地域医療連携センター新設 |
| 〃 | 〃年 | 5月 | 卒後臨床研修センター新設 |
| 〃 | 〃年 | 10月 | 医学部附属病院と歯学部附属病院を統合し,長崎大学医学部・歯学部附属病院と改称 |
| 〃 | 16年 | 4月 | 国立大学法人化に伴い,病院の開設者が国(文部科学省)から国立大学法人長崎大学に変更となる |
| 〃 | 17年 | 1月 | 医療技術部新設 |
| 〃 | 〃年 | 11月 | へき地病院再生支援・教育機構を設置 |
| 〃 | 18年 | 1月 | 感染症センターを感染制御教育センターに改組 |
| 〃 | 〃年 | 4月 | 栄養管理室が診療補助部門として、事務部から独立 |
| ME機器センター設置 | |||
| 〃 | 〃年 | 9月 | 女性医師麻酔科復帰支援機構設置 |
| 〃 | 19年 | 2月 | がん診療センター設置 |
| 〃 | 20年 | 2月 | 新病棟完成 |
| 〃 | 〃年 | 6月 | 新病棟で診療開始 |
| 〃 | 〃年 | 6月 | 口腔ケア・摂食・嚥下リハビリテーションセンター、口腔・顎・顔面インプラントセンター、地域歯科室設置 |
| 〃 | 〃年 | 10月 | 医療教育開発センター医師育成キャリア支援室設置 |
| 〃 | 21年 | 4月 | 学部附属の病院から、大学直轄の病院となり、名称を長崎大学病院と変更した。 |
| 〃年 | 10月 | 院内保育所を移転拡充し、名称をあじさい保育園と改称 | |
| 22年 | 4月 | 救急部を廃止し、救命救急センターを設置 | |
| 〃年 | 7月 | 輸血部を廃止し、細胞療法部を設置 | |
| 超音波センターを設置 |
- 医療機関名称
- 長崎大学病院
- 住所
- 〒852-8501
長崎県長崎市坂本1丁目7番1号 - 交通・アクセス
- 大学病院前バス停より徒歩1分
大学病院前電停より徒歩8分 - 設立年
- 1861年9月
- 院長名
- 河野 茂
- 施設形態
- 病院
- 救急指定
- 3次
- 病床数
- 861床
- 職員数
- 1289名 (平成23年5月1日現在)
- 患者数
- 外来患者数 1228名
入院数 742名 - 看護基準
- 7:1
- ▼長崎大学病院
- http://www.mh.nagasaki-u.ac.jp/index.html
- ▼長崎大学病院 医療教育開発センター
- http://www.mh.nagasaki-u.ac.jp/kaihatu/
