先駆者

地域救急医療の立て直しを図る 熱き救命戦士

ドクターズマガジン2014年12月号掲載

宮崎県立宮崎病院 救命救急科 部長 兼 医長
雨田 立憲

 宮崎県の救急医療の立て直しに一人の医師が立ち上がった。県の中核病院の一つ、宮崎県立宮崎病院の救急体制充実を図り、厚生労働省の救命救急センターの評価を今年度はAランクに押し上げた。総合診療の重要性を訴え続け、現在はマンパワーの育成に力を注ぐ。沖縄県立中部病院での救急医療の豊富な経験を活かし、断らない救急体制づくりのため、今日も雨田立憲氏の奮闘は続く。

「なぜ受け入れるのですか」
現場の言葉にがくぜん

雨田 立憲

 宮崎県立宮崎病院救命救急センターには2人の患者が搬送されていた。1人は心肺停止。もう1人は農薬中毒で意識レベルが低下した患者だった。そこに救急隊から新たな患者受け入れ要請。雨田立憲氏はその要請を受け入れた。すると、横にいた看護師から「なぜ受け入れるのですか」と詰め寄られた。雨田氏が2012年4月に赴任後、間もないころの話だ。

 「目に見えている状況だけから、受け入れられないと考えてしまう。1人はすでに心肺蘇生を始めてから30分が経過し、さらに続けるかを判断しなければいけない状況。一方で、受け入れ要請のあった患者が搬送されるまでの時間は40分。患者が到着するころには受け入れられる状態になっているはず。
 おそらく経験不足からそこまで考えが及ばなかったのだと思います」

 当時の県立宮崎病院はそんな状態だった。
 救急隊が救急現場に到着してから、1時間かけて22回受け入れ要請をし、23回目でようやく受け入れ先が決まった例もあったという。宮崎市内にある救急告示病院は17施設。2巡目にしてようやく受け入れられたことになる。

 「1時間後には1人目の救急患者の処置はだいたい済んでいます。受け入れられないわけがない。かなり遠方の医師から深夜に受け入れ要請が来たこともありました。患者さんの状態を聞くと、翌朝に外来で診察しても問題ないケース。応急処置の方法をその医師に教えたのですが、『経験がないから、そっちで診てくれ』の一点張り。患者は救急搬送されて来ましたが、予想通りすぐに処置は終わってしまい、患者はタクシーの深夜料金まで払って自腹での帰宅となりました。沖縄県立中部病院であれば、研修2年目で対応できる症例です」

 患者だけでなく、医師自身にとっても、さらには宮崎県にとっても、この状況が続くのは大きな損失。何か根本的な原因があるのではないか、と雨田氏は考えた。

宮崎の救急をなんとかしたい
郷里の医療再生に立ち上がる

 宮崎県には7つの二次医療圏があり、県立宮崎病院のある「宮崎東諸県医療圏」には、県全体のおよそ4割、42万人が住んでいる。救命救急センターは、県内に3施設。

 雨田氏の着任とほぼ同時期に、宮崎大学医学部附属病院が新たに加わったが、大学病院は教育と高度医療に重点を置いている点で、県立宮崎病院が実践的な救急医療の中核であることに変わりはなかった。だが、厚労省による県立宮崎病院救命救急センターの評価(※注)は、最低のCランクだった。

 こうした中、宮崎県は「県の救急医療をなんとかしてほしい」と雨田氏に白羽の矢を立てた。沖縄県立中部病院地域救命救急診療部での実戦経験を買われてのことだった。

 「沖縄県立中部病院で非常にお世話になった徳田安春先生(現・地域医療機能推進機構=JCHO本部総合診療教育チームリーダー)ら諸先輩方が、常々言っておられました。『われわれは引き際が肝心。中部病院は常に変わり続けなければならないのだよ』と。中部病院からいつか去らなければいけない。そのタイミングとして、7人の医師を育ててからと思っていたのです。あともう1人というところでしたが、郷里のことを考えるといてもたってもいられませんでした。また家庭の事情もあって、急きょ帰郷を決めました」

 県内の他の病院からも誘いがあった。だが、公立病院の方が変わる必要があるといったアドバイスもあり、県立宮崎病院を選び、新設された救命救急科の部長に就任した。宮崎善仁会病院で勤務していたため、ある程度は県の救急医療事情を知っていたが、冒頭のような状況にがくぜんとした。

"スイートスポット"には触れず
"つなぐ"機能に焦点

 「ここまでひどい状況だとは思っていませんでした。しかし、宮崎県の医療レベルは相当高いことを知っていたので、"スイートスポット"、つまりその医師の専門性にはまれば、能力を遺憾なく発揮できるはず。宮崎の医療には、それぞれのスイートスポットにつなぐ機能、いわば総合診療的な機能が不足しているだけではないかと。だから、救急医療もうまくいかないのでは、と考えました」

 まずは、自分のいる県立宮崎病院に、総合診療的な機能を持たせることに力を注いだ。雨田氏が赴任する前から、救急を病院全体でサポートしようという機運はあった。しかし、さまざまな科のドクターが交代で救急に対応する体制としていたため、搬送患者が自分の得意分野から外れていると、やむなく断ってしまう傾向にあった。その医師を責めても解決する問題ではない。

 そこで、雨田氏が考えたのが、まず研修医に「救急のABC」をたたき込むことだった。救急外来の患者を中心に診ながら、研修医をしっかり指導していったのだ。

 「研修医は各科をローテート研修します。救急外来を経験した研修医が他の科に行って同じような状況に遭遇したとき、『こういうときは、こういう処置をするのが一般的ですよ』と行動し、発言できるようにするのです」各医師のある程度はスイートスポットには触れず、研修医を通して救急の基本を広めていったのだ。県立宮崎病院の対応が変われば、次第に他の病院の救急への対応も変わるはずだとも考えた。

 「中核病院といっても、県立宮崎病院はオールマイティーではなく、弱い分野もあります。そんなときは、そのスイートスポットをもつ病院に転送しなくてはなりません。でも、僕が来てからは、救命救急センターで必要な検査をして鑑別診断もしているので、転送先も安心なのでしょう。『その部分だけ診ればいいね』と、快く引き受けてもらえることが増えました」

研修医が定着すれば
真の救命センターに近づく

スタッフや研修医と和やかなひとときを過ごす
スタッフや研修医と和やかなひとときを過ごす

 雨田氏の挑戦がスタートし、2年半が経過した。夜間はまだ課題が残るが、日中の時間帯は、救急搬送のほぼ100パーセントを受け入れられる状態になった。

 現在、救命救急センターの現在の陣容は雨田氏、宮崎大学から初期研修で来ている救急医、そして救急医を目指す医師という3人。これに、臨床研修医と学生が加わる。

 「個人的には、まだ救命救急センターと呼べるような状態ではないと思っています。総合診療的な機能をもっと強化しなくてはなりません。総合診療に強い病院は研修医からの人気も高い。

 臨床研修医が一人でも後期研修に残ってくれるようになれば、真の救命救急センターに近づきますね」

 その実現には総合診療を教えることができる人材が不可欠。その担い手として期待を寄せているのが、同じ科の青山剛士氏だ。

 「総合診療は、内科が中心になりがちですが、小児科・産婦人科・外科など科を問わずに診察でき、手術のアシストができる程度の実践的知識が必要。その点、僕と青山君は同意見ですし、彼には、産婦人科、整形外科、脳神経外科など外科系の診療科も回ってもらって、いまは総仕上げの段階です」

 後期研修医が定着すれば、経験の豊かな先輩研修医が、経験の浅い後輩研修医に教えるという好循環が生まれる。指導医は後期研修医に、その中で先輩研修医は後輩研修医に、そのまた後輩研修医と指導していくことで守備範囲を広げながら医療技術を身につけることができ、組織自体の戦力アップにもつながる。沖縄県立中部病院で創設以来ずっと続けられている”屋根瓦方式”の研修だ。

 「”屋根瓦方式”をここ宮崎にも定着させたいのです」

ウオークインの拡充で
救急の質も向上させる

2014年4月に導入したドクターカー。 どのような状況にも対応できるよう、シミュレーションをしながら訓練を重ねている
2014年4月に導入したドクターカー。

 2014年4月、県立宮崎病院にドクターカーが導入され、運用が始まった。また、県消防本部からは職員が病院に出向するなど救急隊との連携も強化している。

 県は、建設から30年経過した病院の建て替えを計画中で、ドクターヘリのヘリポート設置も予定している。まだ基本計画を策定している段階で規模などは明らかではないが、救命救急センターの充実を急ぐ考えだ。

 雨田氏は、救急搬送とウオークインの出入りを早く分離したいと考えている。これには、施設の問題もあるが、それ以上に、ウオークインの受け入れ数をある程度増やすべきだと考えている。

 「自力で病院に来る救急患者の中には、すぐに診療する必要のない患者さんも多いが、重症患者も紛れている。こうした患者にこそ気を付けなければいけません。搬送患者のように救急隊から事前情報が入ってこないので短時間で勝負が決まります。研修医の教育面でも重要で、ウオークインの経験を多く積むことで、危険な症例を見逃さないようになり、救急医療の質向上にもつながります」県からもさらなる期待を寄せられる。県福祉保健部医療薬務課地域医療担当主幹の徳地清孝氏は「救急医療の経験がとても豊富で、医学生や研修医の教育にとても熱心です」と評す。

 また、雨田氏は東日本大震災の際、沖縄県立中部病院からDMATの一員として派遣された経験があり、県の災害拠点病院として災害医療の先導的な役割を担っている。

厚労省救命救急センター評価で
念願のAランクを獲得

 「いろいろな分野のスイートスポットを持っている先生は大勢います。しかし、さまざまな医療機関に分散しているため、一人で抱え込んでしまい、バーンアウトしやすくなっています。"人材喪失県"と言われないためにも、一定機関は専門の医師を1ヶ所に集めて、医療資源の集中化を図った方がいいのです」

 そういった環境をつくれば、優れた医師だけでなく、コメディカルスタッフも育っていくはず。

 「育った医療スタッフや指導層がさらに必要とされるところに出向く。そういった戦略病院を県内に一つはつくるべきです」救急医療を実践する傍ら、病院内では職員にSTART式トリアージの説明会やレクチャーなどの勉強会を頻繁に開催するだけでなく、母校宮崎大学内科と合同カンファレンスを行い、県立看護大学で講義するなど、院外での活動を精力的に増やしている。

 厚労省の救命救急センターの評価が10月末に発表された。

 是正を要する項目が大幅に減り、Aランクにアップした。この改革の原動力は、郷土愛だけではない。医療体制を見つめ直し、その問題解決に向かう精神力があるからだろう。

 雨田氏の挑戦はこれからも続く。

雨田 立憲(あめだ・たつのり)

1989年 宮崎医科大学医学部(現・宮崎大学医学部) 卒業
沖縄県立中部病院 研修医
1991年 鹿児島医療生活協同組合 鹿児島生協病院
1992年 宮崎医療生活協同組合 宮崎生協病院
1993年 鹿児島医療生活協同組合 川辺生協病院
1997年 沖縄県立中部病院
2001年 特定医療法人葦の会 オリブ山病院
2003年 医療法人社団善仁会 宮崎善仁会病院
2006年 沖縄県立中部病院
2012年 宮崎県立宮崎病院 救命救急科 部長 兼 医長

資格
日本プライマリ・ケア連合学会研修指導医、日本救急医学会専門医