先駆者

歴史に翻弄された“てんかん外科” 日本での普及に邁進する脳外科医

ドクターズマガジン2015年8月号掲載

社会福祉法人 聖隷福祉事業団 聖隷浜松病院 副院長・CQI室長 てんかんセンター
山本 貴道

 国内で100万人が苦しんでいる“てんかん”。山本貴道氏は米国で学び、帰国後の2004年に国内に先駆けて、てんかんセンター立ち上げに尽力する。現在は、聖隷浜松病院のてんかん患者の手術件数は、DPC病院の中でも最新治療VNSを含めトップレベル。小児患者のキャリーオーバー解消を実現し、てんかん外科の普及、後進の育成など奮闘は今も続く。

センター立ち上げの苦悩
〝てんかん〟にまつわる歴史

 

「院内の表示に『てんかん』と出して良いのかどうか、もう少し議論が必要です」。周囲からそう言われたのは、外科治療が可能な『てんかんセンター』を立ち上げようと、山本氏が米国から帰国して直後のことだった。

 「留学中に、米国の医療機関の一部が日本の患者を米国に連れて来て治療しようという動きがありました。今アジアで盛んになってきているメディカルツーリズムですね。米国にすればインバウンドの治療提供です」

 その動きをいち早く知った、当時、聖隷浜松病院院長だった堺常雄氏(現在は同院総長・日本病院会会長)は、てんかん外科の技術を学ぶために米国ニューヨーク州立大学シラキュース校に留学していた山本氏に、「聖隷にてんかんセンターを設立する」という大きな使命を与えた。

 「当院のような基幹病院でのてんかんセンター設立はその動きを防ぐと共に、国内に〝てんかん外科〞を普及させる目的もありました。ですから、てんかんの名をどうしても使う必要があったのです」てんかんの外科的治療が社会的に自粛されていた背景には、統合失調症などの精神疾患を治療するロボトミー手術が深く関わっている。本来はロボトミー手術とは異なるはずのてんかん患者への外科手術だが、脳を切除するという点で同一視されてしまったのだ

 そのため、「てんかんを外科治療する」と公言できない時代だった。

 「脳神経外科の中に『てんかん科』として細々と掲示するところから始めました」

キャリーオーバー解消に
小児・成人治療の窓口を一本化

 「日本には100万人のてんかん患者がいて、その多くが小児期に発症しています。その対応は小児科で統一されていますが、16歳以上の患者は神経内科・脳神経外科・精神科と窓口が複雑。

 しかも成人患者を診るてんかん専門医は全国的に少なく、大人になっても小児科にそのまま通い続ける患者も大勢いました」そこで山本氏は、「患者のキャリーオーバー」を解消する体制づくりを進める。外来を2診制にし、1診を中学生以下の患者、2診を高校生以上の患者や外科治療を必要とする患者に分けた。さらに小児神経を専門とする小児科医と脳神経外科医の2グループをつくり、神経内科医もてんかんセンターの診療に参入させ、包括的な診療体制を整えた。

 「今ではカナダでフェロー経験のある小児科医を招き、小児科医が術前診断を行い、外科チームが手術するという分業体制ができあがりつつあります。

 診療科の垣根がなくなり、治療方針の決定がとても早くなりました」こうした患者目線の取り組みで、開設当初約300人の年間初診患者数は、6年後にはその倍にまで達し、現在も外来の延べ患者数は増え続けている。

てんかんへの偏見
今でも根強い

 幼い頃の外傷が原因で、毎晩のように痙攣を起こす女性患者がてんかんセンターを訪れた。抗てんかん薬の調整で強直間代性痙攣は起きなくなったが、前兆と呼ばれる部分発作が続いていた。痙攣が無くなったため、今度は逆に気分不快と恐怖感の前兆をはっきり自覚するようになった。外来受診時には、とても苦しいと泣いて訴えた。

 「脳内の発作範囲というものは徐々に広がっていきます。彼女の場合、側頭葉の海馬や扁桃体など人間の根本的な感情を担う部分が刺激されるため、こみ上げてくるような気持ち悪さやゴムが焦げるような臭いを感じ、人によっては恐怖感に悩まされます。しかし幸運にも彼女は手術で完治することができたのです。既婚者でしたし、抗てんかん薬も大幅に減量して、私は『出産』という選択肢を示しました」その患者は驚いた顔でこう言った。

 「えっ? 先生、私子供を産めるんですか?」それから間も無く妊娠。可愛い女児を出産し、「この子は自分の生き甲斐です」としみじみ語る。

 「てんかん患者にはいまだに偏見などの問題が存在します。昔は絶対に子供を産むなと断言する医師までいたほどです」それだけではない。〝てんかん〞の発作リスクや症例は、ほとんど一般に知られていない。

 「てんかん発作が起きると脳細胞は死滅し、精神発達は遅れていきます。発作が一時的なものだからと考えて放置し、たびたび起こる発作に慣れてしまうのです」

興奮する脳の部位によって
発作症状はさまざま

 よく言われている「全身痙攣で倒れ泡を吹く」という発作は、てんかんのほんの一例に過ぎない。発作症状や意識障害の有無は、興奮する脳の部位によって異なる。複雑部分発作といって、動作が2〜3分止まった状態も発作の一つ。発作が起きると、『今何をしていたんだろう』と、それまでのことを全て忘れてしまう。いったん脳の深部にある海馬の部位にとどめられていた記憶がパソコンのようにリセットされてしまうため、例えば家族旅行のような楽しい思い出も記憶にとどまらない可能性がある。一度失った記憶は決して戻ることがないという。

 「てんかんには細かい分類があり、発作の様子もさまざまですが、一般的にはあまり知られていません。地元の新聞に、てんかんのいろいろな症状を解説した記事を載せてもらいました。すると、その記事を握りしめた女性が『うちの子と同じ症状です。てんかんなんでしょうか?』と診察室に飛び込んできたこともあります」

 てんかん患者のADLやQOLにも幅があり、要介護患者もいれば発作以外には何も症状のない患者もいる。

 まさに多種多様だ。完全に社会に入り込んで普通に仕事をしている人もいれば、障害のために人の手を借りないと生きていけない人もいる。
 しかし、センターの設立によって小児の来院患者が増えたことにより、てんかんを早期に発見することができるようになり、手術後に発作を全く起こさず成人になる人も大勢いるという。
 それでも、企業がてんかんと知って雇用を敬遠するケースも少なくないため、患者が職を転々とするケースも多い。

 「患者自身も発作への恐怖から抜け切れないこともあります。当センターの小児科医達が『卒業』と言っていますが、適切な治療を受けて12歳くらいまでに完治すれば、約7割の患者さんが薬なしで一生過ごすことができるのです。トラウマを残さないためにも、早めの治療が不可欠です」

渡米し診療技術だけでなく
システムも取り入れる

 山本氏がてんかん外科医を目指すきっかけになったのは、東京都立神経病院で脳神経外科医長をしていた清水弘之氏の講演だった。「多くの人が苦しんでいるに違いない」と使命感を持ちてんかん外科の道を志すが、学会自体が、「てんかん外科」という名称を出せないために、「ペンフィールド記念懇話会 (現在の日本てんかん外科学会)」という形で細々と活動しており、てんかん外科について国内で学ぼうとしても、ほとんど情報がなかった。

 当時、学閥を越えて清水氏の下へ行くことは難しく、それならばいっそのことと、1998年渡米する。

 「米国のてんかん治療は問題なくオープンに行われていたので、外科医が不足しているものの、診療にあたる神経内科医の数は多かったですね。私は米国で臨床医の資格を取り、ニューヨーク大学てんかんセンターで、年間250件もの手術を行いました。1日に4件もVNS(迷走神経刺激療法)の植え込み手術を行ったこともあります」

 山本氏が渡米して身に付けたのは診療技術ばかりではない。診療システムにも目を付けた。留学は3年に留まらず、センター設立を含めた将来構想実現へ向け、自発的に大学院にも進学。医療管理学修士号も取得する。

 「米国では〝Comprehensive Epilepsy Center〞といって、センターの頭に『包括的』という言葉が付くんです。診療科の垣根を取っ払った状態で一人の患者さんを診ます。1回入院して、カンファレンスをして、そこで治療方針が決まります。意思決定がとても速いのです。この仕組みもセンターに取り入れました」6年後、山本氏は多くの成果を持って帰国する。直面したのは、冒頭の「てんかん」という名称の問題だけではなかった。それは医療費の問題だ。

 米国では、「メディケア」(高齢者・障害者向け公的医療保険)を使って、5日間の長時間ビデオ脳波モニタリングを行うと、病院は約100万円の収益を挙げることができる。しかし同じ検査を日本で行った場合、DPC病院でも13万円、非DPC 病院に至っては4万5000円しか収益を得られないため、原価を考えると、赤字になってしまうのが現状だ。

 「検査をすればするほど赤字です。その赤字を手術で補塡していますが、ほとんど利益は出ません。この収益構造こそが、日本のてんかん治療の発展を阻む最大の要因です。何としても、この状況を変えていかなければなりません」

てんかんの認知度を高め
次世代の医師を育成する

 山本氏は、市民公開講座と患者および家族への無料個別相談会を東海地方を中心に積極的に行っている。800人の定員はすぐに満員になるほど。訪れた患者の多くは皆、深刻な症状を訴える。

 「てんかん患者さんが増えたというより、病気の認知度が高まったのでしょう。毎年3月26日には「パープルデイ」と言って、正しいてんかんの知識を普及するためのイベントが世界中で行われています。

 私達もそれに合わせて講演会を開き、てんかん外科の普及に努めています」全国には26のてんかんセンターがある。しかし地域によって偏りがあり、専門医による診療が受けられない患者は主治医に相談するしかない。なおかつてんかんに関する知識や経験にばらつきがある。

 「年に20回は医療者向けに講演しています。その甲斐あって、2人の医師が小児てんかんの臨床研修に来ました。

てんかんセンターのスタッフと共に
てんかんセンターのスタッフと共に

 てんかん外科を志す醍醐味は、一人の患者さんを初診から完治まで、子供から大人になるまで継続して見届けられることです」現在、聖隷浜松病院は増改築中で、てんかんセンターも整備中だ。来年2月には、念願の個室化した長時間ビデオ脳波モニタリングユニット4床を完備した新病棟も完成する。

 「少しは皆さんの要望に応えられるようになるかと思います。しかしどれだけ私達が奮闘しても、適切な治療が受けられない人、発作に苦しむ人を前にするとやり切れない想いが込み上げます。まだまだこれからです」

山本 貴道(やまもと・たかみち)

1986年 浜松医科大学医学部 卒業
浜松医科大学 脳神経外科研修医
1987-1997年 浜松医科大学脳神経外科学教室関連病院勤務
1998年 ニューヨーク州立大学シラキュース校 脳神経外科
2001年 ニューヨーク大学医療センター
脳神経外科・てんかんセンター
2004年 ニューヨーク大学ワグナー公共政策大学院 医療管理学修士課程 修了
聖隷浜松病院 脳神経外科・てんかん科 主任医長
2008年 聖隷浜松病院 てんかんセンター長
2011年 聖隷浜松病院 院長補佐
2014年 聖隷浜松病院 副院長

【所属学会・認定・資格】
てんかん専門医・指導医、脳神経外科専門医・ 指導医、脳卒中専門医、医療管理学修士(NYU Wagner Graduate School of Public Service)、 医学博士、米国医師資格(ECFMG Certificate, New York USMLE Step3)、日米医学医療交流 財団フェロー、日本てんかん外科学会世話人、 日本てんかん学会東海北陸地方会運営委員、東海てんかん集談会世話人、関東機能的脳外科カンファレンス世話人