Opinion

草の根から見た医師たち―海外留学を振り返って
井上 和男

東京大学大学院医学系研究科・医学部社会予防医学講座公衆衛生学教室助教授
井上 和男

 1990年のことだからもう15年前になる。当時私は、自治医科大学の卒業医師として1年間与えられる、「後期研修」の機会を得た。大学入学時に交わした契約で、いわゆる9年の義務年限の終了を間近にしていたが、できれば終了後も地域の診療所でそのまま勤務したいと思っていた。しかし、2、3年後はともかく、将来にわたって自分がどこで働きたいか漠然としか考えず、将来への不安もあった。そこで一般的な技術や専門分野の習得ではなく、へき地など地域医療の現場で働くGeneral Practitioner(GP)、あるいはFamily Physicianの実態を知りたいと思い、海外に留学することにしたのだ。選んだのはニュージーランドとオーストラリアであった。その理由は、①どうせ行くなら人の行かないところを訪れたい、②へき地医療が活発に行われているところが良い、③そして英語圏、の3つである。
 最初に降り立ったのはニュージーランドのある町。病院での研修に興味がなかった私は、市内でも評判の良い診療所を訪ねた。そこで年配の指導医が応対してくれた。彼は「我々GPは患者を友人と思い、継続的にケアし、子どもや孫など家族全体と付き合っている、これが教えられるすべてだ」と言って話を終えた。その診療所で一定期間研修をしたいと思っていた私は「え、それだけ?」と当惑した。これでは日本から送り出してくれた人たちに申し訳がないではないか。私は必死に研修先を探した。やがて市内あるいは山間部で、若い研修医を指導しながらGPとして働いている医師を紹介してもらい、GPの養成プログラムに参加する傍ら彼らの診療所を訪ねた。また、オーストラリアでも同様に多くのGPを訪ねた。そこで見知ったこと、感じたことが自分の医師としての礎になっていると、今にして思う。

●医師たち
 彼らはみんな親身に接してくれ、穏やかであった。診察室での雰囲気は、家庭的であたたかいものだった。日本と違って新しい科学技術を使った医療設備は少ない。しかし、どの患者についても古くからの病歴、病気や怪我のエピソード、そして家族の出来事をまるで「物語るように」話す。そして必要であればどのような医療や福祉のサービスが利用できるのか、的確にアドバイスする。それは明らかに当時の自分ができなかったことである。医療記録、つまりカルテに書いていたことは身体所見や血圧などであったが、それまではそれが問題と思っていなかった。家族やその他諸々のことも聞いたはずだが、ほとんど関心を払っていなかったように思う。翻ってみると、それだけでは「その人」がどのような社会や家庭環境で暮らしているのか、自分の病気をどう捉えているのかわかるはずもない。今注目されているNarrative Based Medicineに接することができたのだ。
●研修医
 オーストラリアもニュージーランドもFamily Medicine ProgramというGPの養成システムのもとで研修が行われていた。彼らと接して感じたことは、自分が将来GPとして働くこと、一人前になるために研修していることに誇りと確信を持っていることであった。日本では当時は、いや現在もかもしれないが、「医者としてやっていくには専門のひとつくらい持っていないとやっていけないぞ」という話によくなったものである。特に自治医科大学の場合は「へき地に勤務していたら専門医になれないのでは」と不安になる者もいた。彼我をくらべるにつけ「なぜ日本ではGP(あるいは家庭医、プライマリ・ケア医)が専門と言えないのだろうか」と疑問に思ったものである。帰国したら自分はそれが専門と言えるようになろうと思った。帰
国後、再び山間の診療所で勤務し、学生や研修医を受け入れて、指導というより同じ道をめざす仲間として時間を共有した。そのうちの多くの人が、同じように現場で働きつづけている。
●研究
 留学時のトピックのひとつが、GPによる研究の推進であった。かの国々でもGPあるいはFamily Medicineの講座は比較的新しく、その充実のためには臨床・教育もさることながら、日常診療の現場での研究の必要性が叫ばれていた。医師としての数十年のキャリアの中で、学習による自己研鑽が大きな比重を占めることは言うまでもない。その一方で日常診療で通りすぎていくところに研究のテーマはあるのだということを教えられた。「あなたが実際に仕事をしている場所で研究をしなさい、それが本来の姿です」。診療や疾患に対する研究以外にも、たとえば臨床判断、患者教育、医師患者関係、費用対効果、医療資源の分布や偏在などが研究テーマになることを教えられた。そうした研究は、臨床の現場でなしうること、大学など研究機関でなくてもできるということも。帰国後、再び山村の診療所に勤務したが、そこで得られたデータや疑問から湧き出るもので研究を始めた(当時それをPractice Based Researchと呼ぶことは知らなかったが)。

 15年たって今思う。あのとき自分が本当に会いたかったのは、手本や参考となりうる存在、ロールモデルではなかったか。テーマは臨床、教育、あるいは研究とさまざまであれど、結局人は人を知り育つのだ。最初に会ったニュージーランドの医師はかなり高齢だったので、もう会えないかもしれない。もし会えたら、こう言える自分でありたい。「ええ、私もです」と。

 

※ドクターズマガジン2005年9月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。

 


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