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検疫の歴史あれこれ

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検疫の成り立ちやその歴史等について、検疫所のイメージキャラクター「クアランくん」の質問に対して、厚生労働省 大阪検疫所の柏樹所長に答えていただきました。

<プロフィール>

柏樹 悦郎(かしわぎ えつろう)
大阪検疫所 所長(社会医学系専門医指導医)
1960年富山県生まれ。1985年富山医科薬科大学医学部卒業。これまで厚生省、保健所(富山県)勤務の他、海外勤務(大使館員、JICA専門家)を経験。2004年から検疫所に勤務し、関西空港検疫所長、那覇検疫所長、広島検疫所長を経て、2017年より大阪検疫所長。


世界で検疫という言葉が使われ始めたきっかけは?

検疫の語源は「40」

時は中世のヨーロッパ。当時の人口を半減させたと言われるペスト(当時は黒死病と恐れられた)をどう防ぐのかが大きな問題でした。その一つの方法として取られたのが、港において汚染されたおそれのある船舶、乗組員、貨物を40日間、隔離し、ペストが発生しなければ入国させるという方法でした。マルセイユで行われたこの方法から、40を意味するイタリア語Quarantinaが検疫の語源となり、Quarantine(英語)の言葉が生まれました。

コレラの流行を防げ-「検疫」は日本が作った言葉-

19世紀の江戸時代末期、インドのガンジス川流域の地方病であったコレラが港運の発達により世界的に大流行、鎖国から開国へと舵を切った日本にも侵入し、10数万もの患者・死者を出す大流行が起こりました。それを防ぐ方法として、江戸幕府の洋書調所という組織が、ヨーロッパの書物より、コレラの予防、治療法ならびに検疫法等を翻訳してとりまとめ、「官版疫毒預防説」という本を出版しました。そのときにQuarantineの日本語として「検疫」という言葉を当てました。この「検疫」という言葉は、今は中国や韓国でも使われています。


日本での検疫の始まりについて教えて?

日本の検疫の始まり-7月14日は検疫記念日-

明治の時代に入っても、コレラの侵入、流行は続き、明治12年3月より始まった流行では、患者数16万人、内死亡者10万人に上りました。そのため、明治新政府は国内での予防に努める法律とともに、明治12年7月14日には太政官布告「海港コレラ病予防規則」という検疫にかかる法律を交付しました。これが、日本で最初に制定された検疫の法律であり、この日を検疫記念日としております。

明治中期までの検疫-臨時の組織としての検疫所-

この法律は、海外でのコレラの発生に際し、明治政府の指示によって、入港地の県がコレラ流行地から来る船に対して一定期間停泊させるという検疫措置を行うことを規定したものでした。ただ、日本の法律で外国人を裁けない一方的な通商条約の下では、その適用は困難を極めました。実際には明治15年に公布された一律の停船措置や罰則規定を取り除いた規則に対する協力依頼を当該国の公使に要請し、検疫措置が行われていました。また、当時の検疫は、海外のコレラの発生状況に基づいて、明治政府内務省が告示を出し、当該県が臨時で検疫措置に当たる形での対応でした。しかし、告示を待ってからの対応では侵入を食い止める時期を失することが多いため、常時検疫を実施する体制の必要性が叫ばれました。

そのような状況の中、内務省は横浜、神戸を含め全国6箇所の消毒所を直轄化し、最新の消毒設備や外国人の船客や船員等が停留できる部屋等を備えた施設を整備しました。その後、明治29年には施設の名称を消毒所から検疫所に改称しました。(参考:長濱検疫所(横浜検疫所の前身)における上等船客用の停留施設(一号停留所)


明治28(1895)年完成時の長濱検疫所
引用元:横浜検疫所検疫史アーカイブ(出典:学校法人北里研究所所蔵細菌学雑誌(明治29年11月号巻末))

一号停留所(平成30年2月5日 海側より撮影)
引用元:横浜検疫所検疫史アーカイブ


検疫所が各地に広がった背景は?

海港検疫法の制定-検疫所の常設化-

治外法権を撤廃した改正通商条約が欧米諸国との間で順次締結されるに至り、ようやく明治32年には海港検疫法が公布され、内務省直属の常設の組織である海港検疫所が、横浜、神戸、長崎に開設されました。これにより初めて日本独自で検疫措置を実施する体制が整いました。検疫対象となる感染症として、コレラ、凍瘡(天然痘)、猩紅熱、ペスト、黄熱が定められました。このとき検疫医官補として横浜海港検疫所に勤務していた野口英世が、明治32年6月に亜米利加丸の検疫に従事し、中国人船員からペスト菌を検出し、野口の名を一躍知らしめました。そのとき使っていた細菌検査室は、現在横浜市長浦にある野口記念公園内に復元されております。

常設の海港検疫所の広がり

横浜、神戸、長崎以外の港においては、海港検疫法制定前と同様に内務省告示によって臨時に検疫が行われる形でしたが、徐々に常時に検疫を受けることのできる港が拡大されました。主な港では、明治33年には門司港が、大正10年には大阪港が、そして昭和10年には東京港が加わり常時検疫を施行する海港は全国14港に拡大しました。

所属組織を転々とする検疫所-県、税関、逓信省、運輸通信省へ-

明治35年には海港検疫所は、内務省直轄から県の港務部の組織に変更になりました。その後、大正13年には、大蔵省税関の組織に入ることになりました。第二次大戦中は、昭和16年に逓信省、昭和18年には運輸通信省の組織に組み入れられました。これらの所属組織の変遷には、当時の財政状況や社会状況が影響したと考えられます。ただし、検疫業務については、引き続き内務大臣、昭和13年の厚生省発足後は厚生大臣の指揮、監督を受けて実施されていました。

空港検疫の始まり

航空機の出現によって、航空機を介してコレラ等の感染症が持ち込まれる恐れが出てきました。大正10年航空法が制定され、それを受けて昭和2年に航空検疫規則が公布されました。検疫には、上述の海港検疫所が携わらず、府県の警察が航空機の来航に併せ検疫にあたるという形が取られました。


戦後の検疫の役割は?

戦後の検疫所

大戦後、連合軍司令部(GHQ)からの指示により、昭和21年厚生大臣、運輸大臣間で協定を結び、検疫行政の一元化の方針に則り、検疫業務が厚生省に移管されました。昭和22年には厚生省所属の検疫所が、横浜、神戸、門司、名古屋、函館、宇品、長崎に設置されました。昭和26年には、これまで別々に行われてきた船舶、航空機の検疫を一元化する現在の「検疫法」が制定されました。旅行者や、船舶・航空機の増減にあわせて、各検疫所の再編がなされ、現在の本所13カ所の体制になりました。

検疫感染症の移り変わり

検疫法制定当時は、検疫感染症は、コレラ、ペスト、発しんチフス、痘そう、黄熱の5疾患でした。国際的な衛生状態、予防、医療の改善等によって検疫感染症から外れる疾患もある中、新たな課題として出てきた新興感染症や再興感染症への検疫対応も求められるようになってきました。現在(令和2年3月末日)では、感染症法上の一類感染症(エボラ出血熱、クリミア・コンゴ出血熱、痘そう、南米出血熱、ペスト、マールブルグ病、ラッサ熱)と新型インフルエンザ等感染症、そして政令で定める感染症として、ジカウイルス感染症、チクングニア熱、中東呼吸器症候群、デング熱、鳥インフルエンザH5N1、鳥インフルエンザH7N9、マラリアが検疫感染症となっております。また、新型コロナウイルス感染症は、検疫感染症以外の感染症で検疫法を準用する感染症として令和2年2月14日より指定されています。


<連絡先、お問い合わせ先>

ご質問・お問い合わせはこちら

担当:厚生労働省 医薬・生活衛生局生活衛生・食品安全企画課 検疫所業務管理室 人事・給与係
住所:〒100-8916 東京都千代田区霞が関1-2-2
電話番号:代表 03-5253-1111(内線2466)/ 直通 03-3595-2333
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