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「週刊北原」vol.1 ー僕の自己紹介(前編)ー

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米国イリノイ州にあるシカゴ大学で心臓外科医として働いている北原大翔と申します。

この企画は、日本で育ち日本で心臓外科医としての研修を受けた僕が、米国での臨床留学中に経験する医療や教育の違い、心臓外科医としての仕事、手術室で起こる日本ではありえない出来事などを、真面目かつ可能な限りリアルな形で伝えることを目的としています。

まずは簡単に米国留学に至るまでの過程、すなわち僕の自己紹介を書きたいと思います。


慶應志木高校時代―動機は具体的かつ不純になっていく青春時代―

慶應志木高校バスケットボール部

思えば医師というか医学部に行こうと本気で思い始めたのは高校生の頃からでした。高校1年生の時に、当時所属していたバスケ部の顧問から「北原は成績がいいから医学部でも目指したら」と、僕の人生のことは特に真剣には考えていないけど取りあえず言ってみました感満載の非常に軽いノリで言われ、逆にそれがはじめて医学部を意識した記憶として残っています。『そっか、自分は割と頭がいい方に属するのか…』と改めて認識させられ、勉強を猛烈に頑張ることにしました。

『なぜ医師になろうと思ったのか』というのは難しい質問です。時代によって変わってきましたし、いろいろな要素が絡まっているからです。小さい頃は漠然とシンプルな仕事に就きたいと思っていました。理由は、仕事の内容をわかりやすく説明したかったからです。例えば、僕の親父はシステムエンジニアとして働いているのですが、僕が小さい頃に「会社で何の仕事をしてるの?」と聞いたところ、経営とか会計とか人事とかいう単語が出てきて今ひとつわかり辛かったことを覚えています。医師の仕事は子供でも非常にシンプルでわかりやすく、患者を診る、病気を治す、というもので、そのシンプルさに惹かれたのかなと思います。外科医になったのも、難しいことを考えず、目の前のものを切って縫って治す、というそのシンプルさに惹かれていたのかもしれません。ただ、実際にはシンプルとは程遠い世界でしたが。

そういった小さい頃に漠然と抱いていた気持ちが高校生にもなると、医者になったら『モテるんじゃないか』、『看護師さんと仲良くなれるんじゃないか』といったより具体的かつ不純な動機へと進化していきましたが、自らをより奮い立たせる動力源になったことは言うまでもありません。猛勉強の末、晴れて推薦枠を勝ち取り慶應大学医学部へ進学となりました。


慶應大学医学部時代―米国の学生とは180度異なる大学生―

大学時代は、おそらく当時の他の大学生と同じく、勉強はテスト前だけしてあとは部活とバイトという生活でした。必修以外の講義にはほとんど出ず(もちろんダメですが)、試験前のみ必死になって勉強してなんとかテストを通していました。もちろん落とすこともありました。いや、むしろ結構落としました。真剣に将来の医師像なんて考えておらず、『医者になればなんとかなるでしょ』、『医者になってから勉強すればいいでしょ』と思っていました。

今の日本の医学生がどうかはわかりませんが、米国の医学生や研修医と話をすると、僕のようなダメ医学生と感覚が全く違うのがわかります。彼らは学生のうちから論文を書いたり、大学の研究の手伝いをボランティアでしたり、自分の将来のための貯金をしっかりと始めていて、それが当たり前となっているようです。もちろん日本と米国を比べてどちらがいいとか悪いとかではありませんが、同じ医学生なのにこうも違うかと驚きました。これは個々人の違いというよりも文化やシステムの違いが大きく影響していると考えられます。

日本で勉強を全くしてこなかった僕も、米国の医学生になっていたら、きっと病院でリサーチの手伝いをしたり、論文を書いたりしていたのだと思います。うん、きっとそう思います!多分、そう思います。


初期研修医時代―血管の穴を抑えると血が止まるというシンプルさに惹かれる―

研修先を決める夏のマッチング期間中には海外旅行をしていたため、病院は特に希望などなく、なんとなく決めました。まともに留学を考えている学生は、おそらく留学へのコネクションがある病院や外国人講師を雇っているような病院を希望するのだと思いますが、当時の僕はそんなことみじんも考えていませんでした。

もちろん僕の場合はそこから頑張っても希望の研修先になんて行けるはずもなく、そもそも希望を出せるほど病院のことを知りませんでした。

当時は無知であることを全く恥じておらず、最初に研修先として回った循環器内科の部長から「心不全を説明しろ」と言われ「本気で何もわかりません」と言ったのを覚えています。この本気で、というのは「心不全」というその言葉自体を知らなかったのです。当時の部長も今僕が心臓外科をしていると知ったらひどく驚くと思います。そんなダメダメ研修時代に心臓外科医になりたいと思うようになったのですが、それには大きく3つの理由がありました。まず、循環器系の仕事に就きたかった。次に、内科医と外科医だったら外科医になりたかった。最後に、留学がしたかった。の3つです。

循環器の検査の一つにカテーテル検査があり、研修医の仕事は検査後に大腿動脈に入ったカテーテルを抜いて動脈からの出血を抑えるというものでした。当時の先輩から「これで患者が死ぬこともある」と脅され(実際にそうだが)、必死になって抑えていたのを覚えています。『しっかり抑えられなければ血が出て死ぬ』、という何ともシンプルな手技ですが、コツをつかむとうまくできるようになり、大腿動脈の解剖や循環の生理を知ると、もっとうまくできるようになり、パフォーマンスやそれを支持する知識が患者の命に直結する感覚がとても新鮮でした。そして、血液を拍出するのみの機能をもつ心臓は他の臓器に比べ非常にシンプルでわかりやすく、循環器に興味をもつようになりました。

循環器内科ではなく外科にしたのは、心臓に直接触れたかったからだと思います。循環器内科の先生は心臓のことを熟知しています。エコーやカテーテルなどを用いてさまざまなデータを抽出し、心臓の状態を正確に診断し治療することができます。でも、おそらくほとんどの循環器内科医は心臓を実際に見たり触ったりはしません。例えれば、好きな女の子のことは何でも知っていて、毎日のように電話したりメールしたり時には壁越しに彼女の影を見たりできるけど、実際には一度も会うことなく一生を終える感じが内科。一方、好きな子のことよくは知らないけど、毎日直接会って話ができるのが外科。そう考えた時、僕は好きな子にはやっぱり直接会いたいなと思い心臓外科医を選びました。今では見たり触ったりすることで外科医のみが知りうるたくさんの情報があることもわかりました。

最後の理由は海外で医療をしたいと思っていたからです。心臓外科に限らず、『米国で医療をするって、かっこいいな』というのが正直な思いでした。また、当時から米国における心臓外科の研修は、その圧倒的な症例数の多さなどから人気で、多くの日本人心臓外科医が米国に留学していました。そのことから、『心臓外科になれば留学が必要だろう。留学には行きたい。だから心臓外科医になろう』とやや逆説的な感覚で決めました。心臓外科になることを決めてからは、研修はややそっちのけで朝から晩まで米国医師国家試験の勉強をしていました。おそらく人生で最も勉強に時間を費やしていたと思います。

心臓外科の世界をよく知らないながらに、このような理由のもと、『心臓外科医になって米国留学をする!』というのが、いつのまにか僕の目標になっていたのです。

北原 大翔

1983年東京生まれ。2008年慶應義塾大学医学部卒業。モテるために心臓外科になりアメリカ留学を目指し、2016年より単身渡米。現在イリノイ州にあるシカゴ大学で心臓胸部外科医として働く。独身彼女なし。NPO法人 Team WADA(医師の海外留学情報を発信する団体)で留学ブログを担当。

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